正念場を迎える人たち

◎希望退職者の募集

1~2週間前頃から、ネットニュースなどを見ていると希望退職者を募る企業の話をいくつか見かけていました。

 

中間決算で赤字という話も見ましたが、金額が何百億単位なので、どれほどのことなのかよくわかなくなります。

 

 

今日みかけたANAでは、賞与カットや給与の削減などの話も出ているようで、年収で3割減らされる可能性もあるようです。

 

減給が数か月程度であれば、どこかで挽回していけるかもしれませんが、年収となると計画的に人生設計をしてきた人にとっては、予定が大きく崩れていくことになります。

 

かつて経験がないくらい先の見通しが立たなくなっている中で、現状維持に安心を覚えるエゴの思いとは裏腹に、私たちは変化に積極的に対応しながら生きていかなくてはなりません。

 

今後、希望退職については企業の望む数に達しなければ解雇もあるでしょう。

 

いまはまだ、多くの企業がなんとか踏みとどまろうとしているため、希望退職の募集で済んでいます。

 

銀行で借入ができる規模の会社などはまだしばらく持ちこたえていきますが、そうでない小規模の会社などで資金繰りや業績の回復が思わしくない、変化に対応しきれていないため先の見通しがどんどん悪くなる、思っていた以上に実態が悪いことに気づく、返済の見通しが立たない、などの諸事情により、解雇に踏み切る企業がそろそろ目に付くようになっていきます。

 

 

 

 

◎気になるのは

気になるのは目にする数字もそうですが、それとは異なる表に出づらい実態の方です。

 

企業など会社組織そのものはなんとかなっていても、個々の人たちのメンタルがおかしくなったとき、その人たちのことがその組織の実態として積極的に表に出てくることはないように思います。

 

これまでもそういうことは日常的にあったと思うのですが、これからはその数が急激に増えていく可能性を感じます。

 

報道されるものの中には、視聴率を稼ぎやすい人の不安を煽るものか、前回書いた人たちにとって都合のいい内容を探して流すものもあります。

 

またその内容は、一部のうまくいっている業種や偏った情報、そういったものを流すことになるので、「世の中うまくいき始めているのに、なんで自分だけこんな目に合わなくちゃいけないんだろう」と、世間との乖離感に思い悩む人も出てきます。

 

他人と比較して無難に過ごせれば安心、そう思っている人は日本にはかなりいますが、その範疇から自分が外れた時の打たれ弱さはある意味致命的です。

 

それは今の時期に他の負荷と合わさり重なってくるため、精神的な負担が大きく増してかなり苦しむことになり、立ち直れないくらい気持ちが折れてしまう人たちも増えていくのだそうです。

 

自分がない人、自分がどう生きたいのか考えてこなかった人、そういった人ほど知らず知らず自分で自分の首を絞めているのですから、意味のない思い込みに気づけるかどうかで運命が大きく変わる人生のかかった正念場になっていくのでしょう。

 

いま生活に困らずうまくいっている人たちは、そういう悩みを抱えることなく過ごせていますが、来年以降は、そこもやや時間をかけながら看過できないくらいの影響を受けていくようです。

 

 

 

 

◎人から受ける影響で

以前も書きましたが、単発でのことであれば対処できても、次々と自分や身の回りで何かが続けて起きるようになると、その積み重ねはつよく負荷となってのしかかってくるため、変化に速やかに対応できる判断力や行動力、場所を選ばず働ける能力、気落ちしないで気持ちを切り替える柔軟さなど、その人の生きていく力が問われることになります。

 

少し話がそれますが、比較的若い芸能人の方たちが亡くなることが続いています。

 

そのことについて神さまから話を聞くと、私が思っていた以上に多くの人たちに根深い影響があるようでした。

 

これは意外でしたが、ある男性が亡くなった時には、そのことがきっかけで死を意識できて踏みとどまれた人が多くいたそうです。

 

しかし、ある女性が亡くなった時には、逆にあの人でさえダメなら私なんてなおのこと・・・、と気持ちがくじける方向に傾いてしまった人が多くいたようです。

 

これは、「誰が」ということではなく、時期がその違いを生んだということでした。

 

前者の頃(7月17日「一部の人に向けたメッセージ」)は、まだいくらか余裕があった人達であっても、後者の頃(9月23日「10月10日くらいまで」)には長引くストレスで気持ちが参り始めていたため、それに拍車がかかってしまった、ということでした。

 

時期でいえばたかだか約2か月のことでしたが、その間に多くの人たちの意識が急速に変わっていったということになります。

 

自らの生活も危うくなっていき精神的に余裕がなくなっているところに、追い打ちをかけるように両親や友人に同僚など、身近な人や大事な人が心身の深刻な不調を訴えてくれば、それだけで目の前の仕事が手につかなくなる人は少なくありません。

 

それが入院や亡くなるといったことになればなおさらです。

 

エゴにいいように主導権をとられてきたことで、負の連鎖に自ら踏み込むようなことが気づかないところで起きていく、その可能性に気づいていれば、自分でなんとか気づいていけるかもしれない、そう思って以前同情のことを何度も書いてきました。

 

同情で相手にひきこまれる場面になってどうするのか、それは日ごろから自分がなにをどう考えやってきたか、そのことで決まっていくことです。

 

普段できないことは、いざという時にもできません。

 

世の中の展開の早さを感じることがありますが、私たち自身の自覚しづらいところでの変化もかなり早いようなので、これまでの経験則から「これは大丈夫だろう」「あの人は平気だろう」で流すのではなく、一つ確認を忘れないようにする、一言声をかけてみる、近況を伝え合う、そういうことを心がけておくことも、自分があとで後悔しないために意識しておくといいそうです。

 

自身の体調管理も同様で、思っている以上にくたびれている人もいますので、可能であれば一度余裕をもって休むようにしてください。

 

体が休まってくると、そこで初めて自分がくたびれていたことに気づく人もいます。

 

これからますます大変になっていく可能性が高いのですから、休めるときにはしっかり休むようにしてくださいね。

 

 

 

 

◎ひろかねさんの話

 

意味のないことを意味があると思って行動する

 

これは意味があることが分かっていないということ

 

意味のないことをどれだけ真剣にやっても

 

意味のない人生になるだけ

 

こういう奴をバカっていうんだよ