味わって食べることについて

◎噛むことについて

以前ひろかねさんから、味わって食べることを教えていただいたことがありますが、今回はいらした方へのお話の中ででてきた神さまからのお話を載せておきます。

 

 

ある方とのお話の際、話題がその方の食生活の話になりました。

 

最初、私はその方の食事内容に偏りがあるかと思ったのですが、神さまから「この人は噛んでいない」という一言がありました。

その方は職場で指示されたことがなかなかできなくて困っていたのですが、それはその人がこれまでの人生で「よく噛む」ということをやってこなかったから、ということがこの時一つの理由として指摘されました。

 

ここで、実際の働きとは関係ない抽象的なイメージで書いてみます。

 

例えば果物のようにあまり噛まなくても数回咀嚼するだけで食べられるものばかりだと、脳の活動領域が表面や一部に留まるとします。

 

一方で、よく噛まないと呑み込めないようなものだと、何十回も噛んだり、しっかり噛むことで、前者の活動領域とは異なる深部や広範囲の活動領域が活性化する、そんなイメージでお考え下さい。

 

そこから、それぞれの噛み方を別々に続けることにより、日ごろの思考で使われる脳の働きも違ってくる、ということでした。

 

これは電車の線路のようなもので、そこになにをどう走らせるかは、その後の経験の中で培っていくことです。

 

この方のケースに関しては、よく噛んでこなかったことで、「物事を咀嚼して理解する能力の下地が粗くなった」と言われ、指示されたことが理解できない要因の一つが日ごろの生活習慣にあった、ということでした。

 

ただ、生活環境が厳しくてゆっくり食事ができないような場合でも、要点を抑えて的確に物事を理解できるようになろうと思えば、それはそれでできるようです。

 

いろいろなケースがあるため、十把一絡げにする話ではありませんが、ここからが面白い話でした。

 

「よく噛む」というのは、どこまで噛めばいいのか?という私の質問に対して返ってきた答えは、「美味しいと感じるところまで」というものです。

 

 

 

 

◎神さまからの話

どんな食べ物も美味しいと感じるところは人それぞれ

 

一様ではない

 

口に入れただけで美味しいと感じるものもあれば

 

5回噛むことで美味しく感じたり

 

20回噛んで唾液と混じり馴染んでくることで美味しくなるものもある

 

 

 

持ち味をしっかり感じること

 

味わいの変化を知り

 

噛む中でそのピークに気づいていく

 

それによって

 

そのものの美味しさが分かるようになる

 

そのもののよさがわかるようになる

 

 

 

感じ方は生活習慣や体質や体調によっても変わる

 

だから

 

その人がその食事に対して美味しいと感じるところまで噛むことが大事

 

なぜ大事かというと

 

「美味しい」と感じる時

 

感情が動くから

 

 

 

そこで脳の働きと感情がセットで働く下地が作られていく

 

 

 

日常生活の食事以外のことであっても

 

物事をよく考えて咀嚼しながら

 

そのものの本質やよさを理解できたとき

 

自分にとって「快」と感じる感情がうごくようになる

 

まずいとわかる経験は「不快」をわかりやすくしてくれるね

 

 

 

「快」「不快」を重ねることにより

 

毎日の生活が自らの感受性によって自ずと彩られることで

 

豊かさを感じるようになれる

 

喜怒哀楽がより一層はっきりしてくる

 

 

 

それで生きる意欲がわくこともあれば

 

元気がでることもある

 

なにより楽しくなる

 

 

 

その繰り返しがさらに多彩な感受性を育むので

 

味わって食べること

 

 

 

それがその人の毎日を豊かにする

 

 

 

 

◎補足など

補足として言われたことは、噛むことを省いたサプリメントやあまり噛まなくてもいい手軽な食事ばかりを続けていると、表情や感情が鈍くなる、ということでした。

 

リズミカルな咀嚼運動は、幸せホルモンと呼ばれるセロトニンの分泌も促す、という話をみたこともあります。

 

甘いものを食べることで血糖値の上がり下がりで感情が動くことはありますが、それは一時的なもので浮沈が粗いこともあり、「それだけで終わらせると、自分の毎日をよりよく豊かにしていくこととはちょっと違ってくるね」ということでした。

 

何を目的に生きるかによって、何を大事に考えるかも変わっていきます。

 

私たちが合理的なことと考えても、不完全な私たちがやることですから、そもそもが目的に合わないことをやっていたり、見落としやわかっていないこと、気づかないこと、そうしたものは常にあります。

 

特別なことをしなくても、自らの不完全さを認めてあたりまえのことをあたりまえにやることで、私たちは幸せを感じて生きていくこともできるのです。

 

ただ、人によって幸せに感じることは異なります。

 

人との関わりの中に幸せを感じる人もいれば、病気を恐れて人との隔たりを強くすることに安心を覚える人もいます。

 

どちらがどうということはなく、「いまはそれをやりたいんだよね」というだけですが、それをやったらどうなるのか、そこまでは考えていないことで、「こんなはずではなかった」ということが起きてきます。

 

私たちは、よく考えることで、この先の「難」を減らしていくことができます。

 

考えることについて「快」が伴う経験が何度もできるといいね、と最後に一言ありました。

 

納得いくところまで考える、やる、ということが苦手な方は、味わって食べる中で練習していくといいそうです。

 

 

 

 

◎余談

台風の直撃は避けられ、経済もそこまで悪くないどころか回復傾向にあるようにみえるかもしれません。

 

一見目立つ変化はないようにみえますが、台風や寒暖差、社会や経済、そうした影響はいま、弱い人たちのメンタルにどんどん負荷としてのしかかっているのだそうです。

 

これからまた小規模中規模の揺さぶりがあると思いますが、それらに翻弄されるのは生きる力が弱い人たちです。

 

物質的な影響は少なく感じられても、私たちのメンタルにかかる負荷は兵糧攻めのようになっており、時間の経過とともにその影響の根深さを実感することになるようです。