◎答え合わせ
少し前ののブログで「ああいうお祭り」という言葉がありました。
おめでたいわけでも、ありがたいことでもないことで、やたらに騒ぐことは、好きでやることなので、やりたい人はやればいいと思います。
もう一つ、この時改めて語られた「地獄の蓋が開いた」ということも、事実確認できることではないため、私達では現象化していることの中で問題が起きれば、できるところで対処していくしかありません。
今更ですが、なぜいまの時期に考えなしにそれをしない方がよかったのか、ということについてです。
まず自分で考えることが前提ですので、みなさんそれぞれが考えたこととの、今回は一種の答え合わせになります。
◎自ら招き入れる
他の人から、意味のないことに時間と労力を割いて生きているように見えることでも、その人がやりたいと思っているからその人はそれをやる のです。
しかし、自分がない状態 でそれをやっていると、自分ではない何者かと 同調 して、その何者かを 無作為に受け入れてしまう かのようなことがおきます。
みなさんそれぞれがあの「お祭り」の意味をどうとらえているかは分かりませんが、私なりに感じたことを書いておきます。
日本でいえばお盆にあたる時期、ある目的のために亡くなった成仏しない子ども達の霊は、供養のために自らお菓子を求めます。
しかし、それをしなかったら「いたずらするよ」というのですが、簡単にいえば 憑依して好き勝手なことをするよ、と言っているのです。
実際の子どもがやることであれば、ほほえましく笑ってみていられますが、そうでない存在がその「いたずら」をやったらどうでしょうか。
地獄の蓋が開いて、積年の恨みを抱えて出てきたような存在たちと同調しやすいことを、わざわざ自ら進んでやる酔狂な理由はありません。
結果、エゴの歪みが誇張されたり強化されることで、その後の行動にも色濃くその人の歪みが現れやすくなっていきます。
◎自分の責任
やったことの責任は、この世界では 肉体を持つその人 に課せられます。
そうした他者の思いを、安易に受け入れやすい状態にしたのはその人自身ですから、考えなしに行動することは、これからの時代、ますます自分の首を絞めることになりかねません。
日常的にエゴのチェックをする癖がついていれば、気づいて修正していくことは可能です。
加筆しての余談です。
また雨がやってくる
と、一言ありました。
11月のことのようです。