◎ AI
AIについて、以前話があったので書いておこうと思います。
「集合意識の外部化」
これがAIが私達にもたらそうとしているものです。
便利さや合理化、といった点で目まぐるしい進歩を遂げていますが、想像を超えた可能性もさらにでてくるのでしょう。
しかし、一方で、それに依存しすぎてしまうと、自ら考えることを放棄することが当たり前になっていきます。
私達に共通している天命というものがありますが、それが意識レベルを上げることです。
個別にある天命はもちろんそれぞれ異なりますが、その共通項は、この時代に人として生きる中で意識レベルを上げることが主たるテーマなのです。
自分で考え判断することまで放棄することはまずありえない、と思うかもしれませんが、例えば戦後の政策や、日々目にする媒体からの情報などで、すでに時間をかけて私たちは少しずつ削られています。
責任を取りたがらない風潮から、自分でやったことを認めない、誰かに責任転嫁して逃げられる、そういったことも堂々と行われるようになってきました。
以前人から聞いたお話です。
何十年か前の建築現場などでは、「うちが全部責任もつから、しっかりやってください」と大手の会社から一言あり、下請けや現場の人たちは安心して働けていたそうです。
しかし時代は移り変わり、資金のある大手が利益を率先してとり、トラブルや問題の責任を現場や下請けに押し付ける雰囲気が当たり前になってしまっている、と話していました。
個人の主観ですが、誰もが責任を取りたがらない風潮は以前より強まっているような気がします。
客観主義や科学的根拠の提示も、自分の主観を疎かにしすぎているように思えることがあります。
どれかがダメ、とか、あってはいけない、という話ではありません。
ただ、自分のやったことを認められないということは、じゃあそれは誰がやったの?と、そこに空白ができてしまいます。
都合のいい結果だけを認めがちで、失敗や不幸や思うようにいかないことなど、自分の取り組みの結果であるならそこを認めていかないと、片手落ちとなります。
生きづらくなるような自分の思い込みがあれば、それをエゴの歪みと呼んでいますが、その歪んだエゴがしゃしゃり出てくる隙がそういうところになります。
焦ったり、怒ったり、浮ついたり、感情に呑まれて自分を見失うときも、同様です。
結果、余計な一言を言ってしまって気分を害したり、やらなくてもいいことをやって人間関係のトラブルや事故を起こしたり、怪我をすることもあるでしょう。
自分のみならず、他者も巻き込みながら、生きづらさが増していきます。
それに歯止めをかけるには、自分で気づいて考え方を改め、行動を変えていくことです。
自分がどう生きていきたいのか、それに沿って物事を判断してよりよい選択を重ねていくことを忘れなければ、はまり込んだ負のループから抜け出す時期もくるでしょう。
失敗したなら、修正をかけてやり直せばいいですし、やりようはあります。
ただ、気になっているのは、歯止めが効かないような度合いでやりすぎてしまうことがあると、取り返しがつかないような結果になることもあるということで、それがこれから大幅に増える可能性があるということです。
日ごろから気持ちの立て直しや、感情に呑まれないよう心掛けて過ごせていないと、とっさの時に足元をすくわれるどころか真っ逆さまに転げ落ちてしまうかもしれません。
むかし書いたことがありますが、詐欺師のやり方で、信用を獲得するまでは正しい情報を流し、信頼関係ができたところで、スと嘘や悪意のある情報を流して信じ込ませ、首根っこをつかんだり、陥れるやり方があります。
甘い考え方で生きていると怖い目見るよ、ではありませんが、ちょっと霊感があって人より優れているとうぬぼれていたり、都合のいいことだけ信じて都合の悪いことは無視するような考え方だったりすると、簡単に引きずり込まれることもあるのです。
そういったことを知らないまま、次々どつぼにはまるようだとたまったものではありません。
耳障りのいい話には気を付けたほうがいいですし、主導権を手放さなければやり直しはもちろん、能力に応じて行きたいところに行くこともできるのが私達なのです。
意味のある人生というのは、自分のためになることをやってきたか、ということです。
意味のない人生を送ることもできますし、意味のある人生と呼べるなりのことをやらなければ、そうはなりません。
なにをやるにしても、自分のためになるように考えて行動していれば、程度の差はありますが、そのような結果が返ってきます。
しかし、誰かの言いなりで自分のためになることをしなければ、指示した誰かのためになる結果が返ることはあっても、自分のためになることはあまりないでしょう。
自分がない生き方をすることで、その無いところを無意識の自分の方向性に合わない思い込みがしゃしゃり出てきて、生きづらくすることがあるのです。
都合のいいことだけでは半分です。
都合の悪いことも認めて両面です。
自分のためになることが何なのか、は人それぞれなので自分で考えてください。
方向性に合わない思い込みをチェックして、おかしなところはしつけ直していくことで、それらを魂に刻み込むことができます。
あの世に行っても、持ち帰れるものです。
そうやって生まれ時よりも生きやすい自分にアップデートしてあの世に帰れば、やることやってきました、と胸を張っていけます。
ざっくり書いているので言葉や説明が足りていないですが、このようにおかしな考え方を改めていくことで、それらが意識レベルを上げていくことにもなっていきます。
自分に刻むこめます。
しかし、AIの盲目的な信者になって自分で考えることを減らしていくと、意識レベルを上げることから遠ざかる場合があります。
また、AIが市民権を得ることで、「AIが言っているから」と責任を持たせる人も増えていくでしょう。
責任を取りたがらない風潮は、いまの多くの日本人の気質にもあっているため、便利に使われそうです。
そのようにすこしずつ自分が薄まっていくことで、自分ではないなにかに入り込まれやすくなります。
◎ 改めて、まとめ
いろいろ書きましたが、AIに頼りすぎて一歩間違えると、自分の内面に意識を向けなくなる、自分の内面にある上位意識とのつながりを求めなくなるどころか、むしろ否定するようにさえなっていく可能性がありますよ、ということを今回は書きたかったのでした。
上位意識(自分の中にある生きやすくなる考え方)とのつながりは、下位意識(自分の中にある生きづらくなる考え方)の抑制につながります。
エゴをコントロールすることにも関連があります。
上位意識とのつながりが薄くなると、意識の進化を求めなくなる可能性もでてきて、現状維持を求める自身の成長に伴う変化を望まない考え方にはまっていきます。
下位意識の思うつぼ、ということです。
大峠の中で繰り広げられる出来事の方向性について前々回少し書きましたが、生きづらくなりたい人はあまりいないと思いますので、そちらに思いを巡らせる時間があるなら、積極的に生きやすくなるにはどうしたものか、と考えるようにしてください。
興味関心のあることに時間とエネルギーを使った方が結果も出やすくなります。
今ここにはない過去の失敗や未来の不安に意識が持っていかれ始めたら、いまできること、いま気分がよくなることや生きやすくなること、幸せ感じられることがないか、あればどうすればいいか、それらに考えを切り替える癖をつけていきましょう。
癖になるまでは大変ですが、癖になればエネルギーをあまり使わなくても自然と素早く切り替えができるようになり、そもそもがそういう考えも出てきづらくなります。
どうでもいいことに頭が囚われてていることは、そのどうでもいいことが自分にとって大事なことですよ、そちらに向かって進んでいきたいんです、と言っているようなものです。
どうでもいいことなら、考えることをもっとほかの大事なことに使いましょう。
なにをどう考えてもいいのですが、私たちは限られた時間の中で活動していますし、一つの頭と一つの体で生活しています。
限られたものを無駄なことに使っているのはもったいないですからね。
◎ 余談
先日の選挙で自民党が大勝しました。
高市総理については、「動かす」ということが一つテーマになっているような話を書きましたが、選挙に勝ったことで、さらに大きく動かす力を得たわけです。
その活動は世界に伝播していくようですが、前も書いたように、それは良くも悪くも、という感じです。
清濁併せ呑む、でやっているため、そのようになります。
人身御供になった党もありますし、これからますます混とんとしていきそうです。

