軋み(きしみ)

◎まず一歩を

 

アメリカを中心に回っていた経済が、軋み始めている感じがしています。

 

円安が進んでいますが、行ったり来たりの変化であればまだしも、これはもしかしたら数十年かけてため込んできた歪が崩れ始めて居ることを目の当たりにしているのかもしれません。

 

 

7月頃に積み重なる負荷というのは、もしかしたら経済にかんすることかもしれない、そう思えてきます。

 

 

 

 

無理にバランスをとったり抑え込んできたものがどこかで均衡が崩れることで、激しく大きくうごきだします。

 

それが一見好ましいものに思えても、極端な動きがあれば、それは注意が必要です。

 

場合によっては、そこからこれまで平静をたもってきたものが次々崩れていくかもしれないからです。

 

それに耐えられるのはそれなりに力を持った人たちです。

 

この世界は、主にいまはお金でまわっています。

 

つまり、力をもっている、とはおもに経済的に問題が少ない、もしくは優位性がある人たちです。

 

精神世界で高見を目指す人にありがちなのが、経済活動を否定して世捨て人のような生活を志すことです。

 

それが問題少なくできる人はいいでしょうが、ほしいものを無理に我慢したり、生活苦を耐え忍ぶようなことでそちらを目指しても、否定がある以上行き詰まるのは目に見えています。

 

それでもそれを続けてそこからの打開を求めるのであれば、つらくても苦しくてもとことんやるのもいいでしょう。

 

ただ、物事の順序でいえば、この世界がお金出回っている以上、まずはそのことを認めること。

 

そして、お金の問題をクリアして振り回されない、気にならないところまできた後、自分の好きに生きるステージを目指した方が否定も少ない生き方になっていくと思います。

 

 

 

自由があるので、どういう生き方でもいいと思いますが、これから多くの人たちが負荷を感じる要素として「お金」がでてくることはまず間違いないでしょう。

 

すでに問題と自覚できていた人でも、それを先延ばしにしてきたことで、後悔することがあります。

 

まず稼ぐ力をつけることが大事です。

 

貯めることもそうですし、余計なことに使わないことも大事なことになります。

 

自分の生き方が整理されてくると、要は方向性がはっきりしたり具体的になり、自分にとってなにが大事で何が必要ないか、そういうことがわかるほど、不必要なことに浪費することも減っていきます。

 

 

 

ただ、無駄なことも活かせることがあります。

 

無駄なことをした、という経験があればこそ、それが無駄と分かる判断ができるようになることもあるからです。

 

「魂は永遠」という考え方からすれば、人の肉体では区切られるものも、魂という見方をすればずっと続くわけですから、失敗したとしても次に活かしていけばいいのです。

 

不完全な存在が完璧しか自分に許さない、ということはできないことをやろうとし続けることです。

 

できないことをやり続けても、できないという結果が永遠に続くわけです。

 

できることをやれば、進歩するし、成長して気分よく過ごすことができます。

 

幸せを求めたり、気分よくすごせることを求めているのであれば、いつかできるようになることをただ待たなくても、いまできるようになることを考えればいいですし、今だけ気分がいいよりは、より長く気分がいい考え方と行動を選択をしていけば、より納得しやすいのではないでしょうか。

 

失敗はあってもいいもの、と自分にゆるし、それを繰り返さないよう次にいかすことで、失敗に対して否定的な思いが和らいでいきます。

 

一度に解消できないとしても、繰り返していくことで考え方も変わっていきます。

 

 

 

先日いらした方が、自分は知り合いと比べて何も変わらず何年も過ごしてきてしまった、とぼやいていました。

 

しかし、それはこれから目を出し伸ばしていくための土壌を耕し続けていたんですよ、という回答がおりてきて、方向性を定めずやってきたことであっちへフラフラ、こっちへフラフラしてきたことで、気を取り直してこれから方向性を定めて日々取り組むとき、そのこれまでの経験が生きて自分で一つ一つ判断できることがわかるよ、という話でした。

 

もちろんはじめて方向性を決めてやっていけば経験値不足で悩むこともあるでしょうが、拙い経験でも判断の基準となるものはその人の中にあるから大丈夫、ということでした。

 

それは自分がじかに経験したことばかりでなく、羨望や妬みで見てきた自分に関わりのある上手に結果を出してきた人たちの取り組みを自分と比較しながら見てきたことで、かすかであっても活かせる知識としてみについているから、ということもあるからということでした。

 

 

 

知識や経験をどう活かすかは人それぞれです。

 

それぞれとは、持ち味が違うということです。

 

 

長年携わってきたり、経験値が他の人より高ければ、それだけ自分のやってきたことが活かしやすい状況にあるのかもしれません。

 

これまで結果を出せたことほど、自分の持ち味を活かせているかもしれませんので、無いものを無理して使おうとするよりも、いま有るものを有ると認め、それをどう活かせるか、方向性と照らし合わせながら考えるといいでしょう。

 

これから大変な状況になるほどに、できないことややったことが無いことに手を伸ばして失敗を繰り替えす人が続出するように思います。

 

もし私が思っているような状況になっていったとしたら、そこは小手先で通じる甘い展開ではありません。

 

それよりも、いまやっていることやこれまでやってきたことを改めて見直し、自分をどう活かせるか考えてみてはどうでしょう。

 

自分の活かし方、向き不向き、存分に力を発揮しやすい環境がみえてきたら、場合によっては転職することも考えてみるといいでしょう。

 

いま置かれている環境が嫌で逃げることもやりたければやればいいですが、成長しつづけないと、これから負荷が増し続ける中では持ちこたえられずに呑み込まれていきやすい、と私は考えています。

 

課題を持ち越すよりも、解決するために今取り組む、よりよい取り組みのために選択肢に気づいてよりよい選択をしていく。

 

今できることをやることは、できないことをやることと比べれば、気分がいいことだと思います。

 

もし行動に移さないでグダグダしているのであれば、一度やってみてはどうでしょうか。

 

始めるまでは腰が重くても、いざ動き出せばスイッチが入ったようになって自分からあれこれ考えついたり動ける人もいると思います。

 

 

 

さきほど「はじめのブログ」にも少し書きましたが、人々を惑わし混乱させることで、自分のために生きることを目減りさせながら徐々に奪うような、そういう状況がこれからますます増えていくとしたら、それらに惑わされずどこまで自分のために生きられるかが一つの答えだと思います。

 

いざというときは、これまでやってきたことをやる場面であり、やってこなかったことはいざというときほどできないものです。

 

付け焼刃でなんとかなるほど甘くはないのです。

 

怠惰で愚図でのろまで、という人でも、大きな方向に向けたことをその人なりにできるときにやれば、やっただけは進みます、変わります。

 

そして、進みながら理解が深まり、成長した中で都度自分を見つめなおして自分が思う自分の特性や方向性などを再設定しなおせば、成長速度もかわるかもしれません。

 

まずは一歩、できることを考えてやってみてください。