◎薄っぺらな期待と求められるたくましさ
世界の変革を期待する人たちがいます。
アメリカ大統領選挙についていろいろ見ていたとき、初めて目にした言葉がありました。
それがネサラゲサラというものです。
それに対して期待が高まっているようでしたが、先日お話をした方の話では、それは今もなお続いているようです。
詳しく調べる気もないのですが、その中身には借金が帳消しになるというものもあるようです。
それについて神さまからのお話もあったので、思うことも含めて少し書くことにします。
私たちはこの世界で暮らす際、一つの理と共に存在し続けています。
それが、因果応報です。
自分がやったことが返ってくる、行動に移したことの結果がでる、そういったものです。
見える世界だけで考えると、理不尽に思えたり、偏った印象を抱くことがあるかもしれませんが、見えない世界も含めたこの有全体のあり方として、因果応報がきっちり機能することになっています。
そのきっちり機能するはずのものが、私たちによって大きく歪められてきちんと機能しなくなってしまったため、現状維持が続くぐだぐだな世界が生じています。
自分のやったことの尻拭いは自分でやる、このことが基本であり、カルマの解消はそのことをさしています。
自分たちに都合の悪いことを自分たちの都合でチャラにできる、ということは原則ありません。
そこには、カルマという歪みを解消できるなりのなにかがあって、初めてなされうるものです。
ようは問題として自分の身に何か起きたとき、成長してそれを解消できるようになっているか、なっていけばいいだけです。
借金したなら、ちゃんと返せばいいだけです。
そして、借金しなくてもいいくらい稼げるようになればいいのです。
きれいごとばかり言って、まともに稼ぐようなことをしていないならば、この世界を否定するのではなく、まず自分をなんとかすることです。
それ以外は、そのカルマが消えることはほぼないでしょう。
ネサラゲサラがどういうものかはよくわかりませんが、仮に借金帳消しになることを期待して喜んでいるとしたら、それは目先の人参に飛びついているだけの話です。
仮に帳消しになったように一時思えたとしても、悪魔との取引ではありませんが、借金をチャラにしてもらうことでその後の自分の自由を差し出すような、小利を手にして大禍に身を投じるようなこともあるのだそうです。
「長い目で見たときに、欲に目がくらんで、抜け出せない生きづらさにその身を捧げてしまっていないか、よく考える必要があるね」といわれました。
神さまたちは、より歪みの少ない世界を望み目指しています。
自分でやったことの責任をとれないような人間に対して、歪みを一方的に解消して特別扱いする理由はあるでしょうか。
エゴは楽して得することが好きですから、一度甘やかせば、次を期待してなにもしなくなっていきます。
変革を望み、現状維持から抜け出そうとしているにもかかわらず、人々が動かなくなっていくようなことをわざわざやらせるはずがありません。
なにかある度に、エゴをつついて動かそうとしている神さまを思えば、総決算とよばれるこの大事な時期にわざわざエゴ主体で生きている私たちが動かなくなることを促す必要はないように思います。
また、借金チャラがあるとすれば、あるエゴが他のエゴに取って代わるように、なにかに置き換えられるだけの話です。
暇つぶしできるくらい多少の余裕があるなら、いまだにそういうことを期待している人たちがどこに向かっているのか考えてみるといいでしょう。
世の中はいま一見穏やかですが、それは押さえ込みやもみ消しが活発に行われているから、ということもあります。
その裏で、次に向けた準備は着々と進められています。
神さまからは、ぐだぐだはまだ2〜3年続くと言われています。
気づいて行動に移す人たちは、他者のあれこれには目もくれず、自分の幸せに向けて邁進し始めているそうですよ。
それぞれの世界は異なる様相で展開し続けていきます。
大河を抜けて大海にたどり着き、いまは方向性を出していない人はどんどん潮流に流され続けています。
時代は代わり、新たなステージにすでに私たちは足を踏み入れています。
これからますます以前のやり方そのままでは通じなくなっていき、よりいっそう柔軟な変化や成長が望まれます。
たくましくなくては生き残っていけない、そういう時代に入ったのです。
借金帳消しを期待するような人の末路がどんなものかわかりませんが、全体の方向性とあわないことをやっていてもうまくはいきません。
ここで伝えてきたことを実践しながら力をつけ続けていくことが、これからの時代の一つの正道となっていきます。
◎余談
3月中旬になりました。
これからまたジェットコースターのように、なにかと私たちを揺さぶることが出てきそうです。
アメリカ大統領選挙の結果により、いまはぐだぐだに傾いてきています。
ただ、隠れていたものが引っ張りだされるなどしたことや、気づき始めた人が増えつつあることなどから、二転三転しながら数年過ごすことになりそうです。