負荷について

◎ざわつきと落ち着きと

 

9月に入りました。

 

隔月でなにか負荷となることが起きる、といわれ、5月はサル痘、7月は安倍元首相、ということが比較的目立っています。

 

ただ、5月は別のことが懸念されていました。

 

WHOのことです。

 

加盟国への緊急時におけるワクチン接種などを一方的に指示して強制できる、というような話でしたが、その決議はとりあえず持ち越されたようでした。

 

サル痘の拡大も鈍重で、5月の時点ではそこまでのインパクトはありません。

 

とはいえ、世界各国に感染は広がり続け、子供への感染も各地で確認されているようです。

 

変異もみつかり、時間をかけて影響は及んでいくようです。

 

安倍元首相の件については、公人の暗殺ですから、それなりにインパクトはありました。

 

ただ、私たちにどれほど影響があるかといえば、好意的に応援していた方のショックはあるでしょうが、直接関わりがなければそれほど気になるようなものはないのではないでしょうか。

 

自民党が勝利したことで今後数年影響が残るため、こちらも自民党が表向きどういうかじ取りで政治を行っていくのかがポイントになりそうです。

 

ここまでを振り返ると、負荷が直接かかる、というよりは、負荷となることが始まっていく、芽吹く、という印象です。

 

どこか水を差されたり、抵抗が効いてそこまでのものにならなかったり、という感じでいました。

 

運命は変えられる、ということを、最近改めて何度も聞かされます。

 

人びとの一定の方向性をもった取り組みが、それなりに結果として表れている、ということのようです。

 

ただ、それは多少出方がマイルドになってはいても、これから徐々に積み重なっていくわけですから、やはり来年以降に感じる混沌への布石として起きていることに変わりはありません。

 

さきほど感じた心象風景のようなビジョンは、雑然としているのもそうですが、なにか血なまぐさい獣臭のような不快な落ち着かない野蛮な雰囲気を漂わせたものでした。

 

それはこれからのこと、というよりも、いまの社会の隠れた実態のようでもあります。

 

なにか秩序が崩れて機能しなくなっているようにもみえました。

 

物価高や食糧難などもいわれていますが、ネットを見ていると、他にも各国で生活に影響の在りそうな話をちらほら見かける機会が増えています。

 

急激な変化も起こることがありますが、地道に変わってきているものほど気づきにくいものです。

 

以前も書きましたが、単発であれば対処もできますが、環境が変わり状況もままならない中で、2つ3つと畳み掛けるように何かが起こると、それに対処するのは容易ではなくなります。

 

よく見ることで、気づける変化もあるかもしれません。

 

買い物に行ったとき、毎週特売で98円で売っていた魚の切り身が、2週間ほど前には120円に値上がりしていたことに気づき、物価の上昇を感じたことがありました。

 

それが数日前には、150円になっていました。

 

期間にすれば約1か月で1.5倍になっています。

 

たまたま一部極端な変化が起きたものを見ただけかもしれません。

 

サンマも今年は不漁と聞いていますし、ロシアとの関係もあるでしょう。

 

物価高の影響がひろがって値段を上げなくてはいけなくなっている面もあると思います。

 

おそらく一つの事柄だけで起きたことではありませんので、しばらく値が下がることもないように思います。

 

魚の切り身は一例です。

 

実際には、私たちが気づいていないだけで、あちこちでそうしたことが起きているでしょうから、それに多くの人が気づくようになる頃には、社会はいまとはちがった状況になっていることでしょう。

 

お金を稼げるように、ということを繰り返し伝えていた意味がわかるでしょうか。

 

困ってから慌てたところで、やったことの結果がでるのは、行為を積み重ねた先の話です。

 

そこには時間差があります。

 

お金をかせぐなりにがんばったとしても、それ以上に物価が上がり続けるかもしれません。

 

そこそこのことが起きても、とりあえず大丈夫、という人もいますので、そういう人たちはできる中でなんとかやりくりしていけるでしょう。

 

しかし、これから起きるであろうことの中には、最近書いている後遺症も含まれます。

 

意欲が出ない、疲れて動けない、ウツっぽい、そういうことだけでも日常生活は大きく揺らぎます。

 

当たり前にできていたことができなくなっていく寂しさ、不安、いらだち、そういった感情のなかで、それでもなんとかしなくてはいけないとき、自分にどう向き合い、どう行動していけばいいでしょうか。

 

否定的にものを考えがちな人は、余裕がなくなればそれが色濃く発露していきます。

 

エゴのチェックとコントロールを知っていれば、気持ちを立て直す取っ掛かりになります。

 

実際に日々の生活で実践していれば、具体的に取り組みやすくなる分、立て直しも早くなるかもしれませんし、意欲がそがれることも減る可能性があります。

 

分かっていないけれどできるようなつもりでいる人は、実際にやってみて身の丈を知ることになります。

 

そこでふてくされる人もいるでしょうし、そこから気を取り直して、方向性を考えて今できることをやろうとする人もいるでしょう。

 

自分たちが暮らす国の経済がどうなっていくのか、ほとんどの専門家でも判断がつかないことだと思います。

 

なぜなら、いままで体験したことがないような状況で起きていることだからです。

 

これから生きづらく感じる社会になっていく可能性が高いため、負荷が増すという言葉で集約して話していますが、その負荷を構成していく要素は、自分たちの身の回りにすでにいくつも見え隠れしているかもしれません。

 

不完全な私たちですから当たり前のことですが、自分に都合よくものごとを見ていればなおのこと、気づけないことがあって当たり前です。

 

全部取りきれるものでもありませんが、自分が後生大事に抱え込んでいる歪んだり間違った思い込みを見つけ、気づいた時に少しでもいいのでよりよいものに変えていくことをできるようにしていってください。

 

不穏な要素があちこちに芽吹き始めている感じがしています。

 

そんな中で、まだ自覚がありませんが、運命を変える力を使えるようになってきている人もいます。

 

自分の範疇がひろがり、大事な人たちとのかかわりの中で、その大事な人たちに変化が生じていることもあるようです。

 

その人なりの一生懸命な取り組みでいいのです。

 

それを続けてきたことが、いま結果として自身に起きていることに気づけたなら、これから先を思いながら、いま目の前にあることに徐々に集中していけるようになります。

 

運命をよりよいものに変えていく力をさら磨いていけます。

 

いまできることがある、自分を生きることができる、そういう気持ちに包まれながら過ごす毎日が増えるにつれ、自分をとりまく様々なものも、また少しずつ変わっていきます。

 

パニックに呑まれて過ごしていることに気づき、できるところから一つ一つ立て直していくことで、落ち着いて自分を生きられるようになっていけば、それまでとは違った感覚で過ごしていける人も出てくることでしょう。

 

そういった方は、目を覚ます、ということを、そこで改めて知ることになるそうです。

 

 

 

 

 

◎余談

 

台風の進路がすごいことになっていますね。

 

先日は、沖縄付近でぐるぐるするのか、と思って予報をみていたのですが、昨日あたりから、その進路がまた本州北部を抜けていく予想になっていました。

 

日本を時計回りで半周以上しそうな感じです。

 

北陸から東北や北海道は、一時期大雨に見舞われて被害も出ています。

 

そういった被災地に追い打ちをかけるようにまた雨を降らせるのでしょうか。

 

線状降水帯によって、離れた地域も油断ができません。

 

これまでの暑さや雨などで地盤が緩んでいる場合もありますので、お気をつけてお過ごしください。