余談

◎昨日見た夢の話

 

日曜日の朝見た夢の話です。

 

あるビルの最上階か屋上あたりに立っていました。

 

周りには数十人の人がまばらにいる感じでした。

 

そこで不意にがくんと不自然な沈み込むような揺れが一回きます。

 

周りはあまりそれを気にするふうでもありませんでしたが、私だけ「これはやばいやつじゃないのか?」と感じていたようですが、その直後、一気に建物が沈み込むように崩れ始めます。

 

沈んでいるようでもありながら、上から押さえつけられているようでもありました。

 

建物は4階だてくらいでしたが、気が付くと地下1階くらいまで沈むこみ、なかにはコンクリの壁にしっかり閉じ込められてしまってあきらめている人たちもいました。

 

しかし、大半の人はなんとか地上にでられる通路をみつけ、そこから列をなして地上に抜け出る様子が見え、そこまでで記憶は終わっています。

 

 

 

夢からさめて感じたことです。

 

これからなにか唐突に社会に異変が起きるとき、予兆のような異変を一度感じることで気づくことがあるかもしれません。

 

しかし、私たちを取り巻く社会そのものが大きく崩れるため、気づいたところでどうなるものでもないのでしょう。

 

 ただ、ひとしきり崩れ落ちてしまえば、あとはそこから這い上がるだけです。

 

崩れてくるとき、その過程でつぶれないよう気を付けていれば、そこから先でなんとかなる、ということかもしれません。

 

これが起きる可能性のあることだった場合、いつなのか。

 

瞬間的なインパクトのつよい崩壊は、印象としては一年も経たない間と感じるのですが、崩壊自体はすでに始まっています。

 

夢の解釈は理解しきれていないことを見越し、含みがある気がしています。

 

負荷がかかる中で間引かれていく人たちもいたことを思うと、厳しい展開が待っているようですが、地下の闇から抜け出ていく時、それは地上の明かりが手掛かりでした。

 

その手掛かりを頼りに歩いていく人たちから感じたのは、不安よりも意欲や希望にみちた感じです。

 

それぞれが地上に出てからどうしていくのか、そういったことには迷いがなく、そして、穏やかでしずかで強い気持ちを胸に秘めて進んでいく様子が感じられました。

 

ギュッと集約したものを見せられたのかもしれません。

 

自分がどう生きたいのか、それがわかっているようでもありました。

 

 

 

ところで、余談ついでに。

 

みなさんは心がどこにあるか感じたことがありますか?

 

私は、10年ほど前に一度、心の声を聞いた経験があります。

 

それはしずかですがしっかりと力強さや決意を感じさせるものでした。

 

その声が腹の底から響いてきたことを、いまでも感覚的に覚えています。

 

心の声だということが、なぜかわかるものでした。

 

その声に従って踏み出した一歩の先に、いまがあります。

 

その声に従って歩んできた感じが、夢の中で見た人たちの姿にも感じられました。

 

 

 

余談として載せておきます。