コロナについて思うことなど

◎体験を振り返りながら

 

いま流行っているオミクロン株がありますが、私はただの風邪だとは考えていません。

 

ではどう考えているかといえば、ワクチンの影響をなにか受けているもので、ある意味、人の体内で培養されながら感染を広げているのではないかと考えています。

 

もっと言ってしまえば、ワクチンによって体内で擬似的につくられたウイルスに対して抗体がつくられる反応をもくろんでいた(※1)はずが、その疑似ウイルスが想定以上に活動し始めて、変異株として人々の間で感染拡大を引き起こしているのではないか、と考えています。

 

mRNAという四次元ポケットを備えた従順なドラえもんをつくろうと思っていたら、暴走するターミネーターが出てきてしまったイメージでしょうか。

 

(※1)ワクチンを作った人たちが実際になにを意図していたかはわかりません。

 

(事実はわかりませんが、これらは私が見聞きした話をもとに、勝手に思い描いている私のイメージです。)

 

ともかく、オミクロンでもささやかれているように、繰り返しおきる変異も、実際に接種されたワクチンを踏まえたものであれば、これまでのワクチンが効かない、ということになっていくのではないでしょうか。

 

こういうことは、医学論文や様々な議論や推論を元に多彩に語られていることですので、興味がある人はそれらを参考にしながら自分なりの考えをまとめ、実際のことと照らし合わせて確認していけばいいでしょう。

 

 

 

 

 

 

ただ、もしこの考え方があっていれば、これだけワクチンが普及した以上、通常の社会生活を送る際に逃げ場はないと思っています。

 

それをあれこれ考える時間があれば、他に時間を使った方がいいのではないでしょうか。

 

例えば風邪をひいたとしても、それが新型コロナの変異株か風邪なのか見分けはつきません。

 

極端な症状が出ることが懸念されたとしても、専門家でもない私達にとっては、数年前に周りで風邪で亡くなる人たちがどういう症状だったのか知りもしないのに、それが新型コロナ特有の症状であると言い切れるものではないでしょう。

 

長年現場で治療に携わってきた医師や看護師などの医療従事者の方たちであれば、わかることだと思います。

 

ただ、先ほども書いたように、不自然で特殊な経緯を経て変異を繰り返しているのであれば、いま流行っている感染症は、ただの風邪とは違うリスクが含まれている可能性があります。

 

私達が思うような風邪と同じ経過をたどるものばかりではないでしょうから、,もうしばらくは実害を伴いながら、今後もなにかと騒がれていくのではないでしょうか。

 

 

 

しかし、いつ罹るかどうかもわからない病気についてあれこれに悩み続けていてもるよりも、その時、今の自分になにができるのかを考えて行動に移していけばいいことです。

 

生きる人は生きるし、死ぬ人は死にます。

 

症状を軽くする方法もあるでしょうが、大きな時代の流れの中で、大アセンションや変革に大峠などといわれてきた時期が今だとするならば、そんな小手先でどうこうできるものではなく、もっと大元に目を向ける必要があると思っています。

 

それがひろかねさんから教えてもらった全肯定の話だと私は考えます。

 

 

 

 

◎余談 その一

余談ですが、コロナが流行る前の年の12月、私の家族全員がインフルエンザに感染しました。

 

妻はやや特殊な体験をしましたが、子供たちは何事もなかったように経過していきました。

 

問題は私で、あれほど体がだるくしんどい経過は初めてで、数日して一応の回復を果たしたものの、それからおよそ2カ月、体力の著しい低下があり、閉店時間がくると、それ以上残業する余力がまったくないくらい疲れ果てて帰宅する毎日でした。

 

武漢や新型コロナについて危機感を持った報道がされる前ではあったものの、すでに中国国内で感染が確認され始めていた微妙な時期でもあり、思えばあれがコロナだったのかもしれません。

 

しかし、あの時は家族全員インフルエンザの診断を受けています。

 

新型コロナを知らなかったので、何の疑いも無くインフルエンザだと思ってお終いでした。

 

インフルエンザでも2か月も体のだるさが残ることがあるんだ、と思い驚いていましたが、結局そういう経験や知識が無いと、その症状を聞けば「新型コロナだ!」となるわけです。

 

冷静な判断をしようにも、専門的な知識や経験などなければわからないこともあるのは当たり前です。

 

検査や情報収集を国がどのようにやっていたのか調べてもいませんが、感染拡大を騒いでいた一年ちょっと前、厚生労働省発表のデータだったと思います。

 

陽性者の内訳が9割近く「国籍不明」であり、何人かの人たちから話を聞くと、中国から旅行者が空港や札幌の市街でたくさん見られた、ということがありました。

 

感染が広がっているといいつつ、その内訳は大半が国籍不明者であり、しかも海外からの入国ができる状況で、日本に住む我々によくわからない制限を課してきた過程を思い返すと、この2年以上にわたってのまともなデータなど取れているとは考えづらいですし、それらを元に科学的根拠に基づいて判断したことにより対策を講じることなどできもしないでしょう。

 

混乱に拍車をかける後手後手が続いているようにも感じられる中、火事場泥棒のようなことをする人まで現れていれば、実際にウイルスが変異を繰り返しながら感染拡大を続けていたとしても、不信感があることで、仮にまともな対策が打ち出されても、それに対して「ただの風邪をあおって騒ぐな!」と反発する人がでてくることでしょう。

 

コロナに振り回されて混乱に陥っている人も多いと思いますが、コロナをきっかけに炙り出されている自身のことはなんでしょうか。

 

先ほども書いたように、この時期を踏まえて物事を考えた時、取り組むべき課題がなんであるのか、今一度考えてみるといいでしょう。

 

 

 

 

◎余談 その二

さらに余談ですが、今日は節分をまたいで書いているので鬼の話題をだすと、鬼滅の刃で描かれる鬼はどれも人々の歪んだエゴを描いています。

 

なぜ禰津子は他の鬼と違って理性を保てているのでしょうか。

 

ワンピースがあと数年で終わる予定のようですが、あれは一厘の法則をテーマにインスピレーションがおろされていると思っています。

 

フィナーレを迎える時期も、私達の意識の変化となにか関係しているかもしれません。

 

以前流行った「ナルト」の主人公の成長過程は、否定を減らしていく上で考えるきっかけになる人もいるでしょうし、そこにでてくる「月の眼計画」は、陰謀論的に語られるムーンショット計画に通じるものがあります。

 

呪術廻戦で描かれている夏油の考え方や振る舞いなど、あえて書きませんが、面白い描かれ方をしていると思っています。

 

メジャーなアニメを通して潜在意識に働きかけていることは、解釈のしようによって良くも悪くもできますが、自分がどう生きていきたいのか方向性を決めないままでは、活かすポイントも見えてきません。

 

別にアニメで学ぶ必要もないのですが、そういう面もありますよ、というお話でした。