揺らぎの可能性

◎余談、とりあえず今月いっぱい

どうなるかわからない不安定な状況なのではっきりしませんが、場合によってはまあまあ大きな揺らぎがあるかもしれません。

 

時期の目安は、すでに一週間ほど前から入っており、とりあえず今月いっぱいまでです。

 

多少前後すると思います。

 

何となく気になるのは、経済か地震か、もしくは両方。

 

コロナや水害など、それ以外もなにかあるかもしれませんが、比較的強く感じるのは上の二つです。

 

いま崩れかけているところをぎりぎりで踏みとどまっている感じです。

 

ここを乗り切っても、また少しすると異なる揺らぎの懸念がでてきそうです。

 

 

 

◎カンフル剤としての揺さぶりが

二極化の結果として、新たな時代に入ったいま、過去やってきたことが今その人を取り巻く環境として変化が現れています。

 

生きづらくなっている人もいますが、その大半は思い込みが強まっているため、いまはまだその自覚がないそうです。

 

なぜまだ自覚がないかというと、今我慢すればいずれよくなってくるからそれまで待とう、耐えよう、という自己都合で言い聞かせているからです。

 

しかし、そのように現実を受けれ入れられなかったり、よくなるなりのことをほぼ全くといっていいほどやっていないので、この先で気づいたときには、やってきた人との差が大きく開いてしまうことになります。

 

一方で、生きやすくなっている人たちの内訳は様々です。

 

否定の思い込みに気づいて人との接し方や日常の習慣を自分の目的にあったものに変えることができた人もいれば、否定に気づく所まではできていなくてもいま目の前にあることをとにかくがんばってきたという人もいます。

 

わかったつもりでやってこなかった人でも、問題が起きて解決のために自身に目を向けざるを得なくなり、やや強引に変化を促されて取り組み始めた人もいます。

 

よりよく生きようと思いここで学んでくださっている方であっても、できているつもりで行動がなにも変わっていない人は、やらない(成長しない)という選択をしているので一段負荷が増す方向に進んでおり、気づいてからの立て直しはこれまで以上に大変になっていきます。

 

しかし、「私が気づいていないところで何かが変わり始めているに違いない」という根拠のない期待でお花畑に囲まれようとしているため、そう思える間はある意味幸せかもしれません。

 

意識の進化と呼ぶにはまだまだ物足りない状態の人が多いため、ここで一度揺さぶることで、それぞれの立ち位置からの変化の速度を増そうという働きかけが起きそうな気がしています。

 

それが冒頭に書いた揺らぎのことであり、個別にもなにか起きやすくなっているようです。

 

方向性を出すこと、よりよく生きること、こうしたことをこれまで続けてきた方たちの中で、中だるみのようになっている方は、改めて自分がどう生きていきたいのか考えてみてください。

 

以前に比べれば多少生きやすくなっていても、すこし負荷がかかればすぐに崩れてしまうようであれば話になりません。

 

一定レベルを超えるところまでやりきるまでは、私たちは安心して一息つけることはありません。

 

そのレベルがどこまでかも、一度考えてみるといいでしょう。

 

 

 

◎みんな違うからこそ自分の幸せを自分で考える

「よりよく」自分を変えていくことを続けていくことが、新たな時代の指標としてすでに何年も前から示されています。

 

それを知っているのあれば、できる中で少しずつでもいいですから、自分を生きづらくしている思い込みに気づくようにし、考え方を改め、些細なことでも行動をよりよいものに変えていき、自分の目的にあった生き方で日々過ごせるようにしていくことです。

 

思うように過ごせるような未来をただ待ち望むだけなら、それはいつまでも夢見続けるだけで終わります。

 

自分にとっての幸せを考え、それを踏まえてそうなるなりのことをし続けて、時に失敗し、反省し、うまくいけば喜び、自分のやったことを認め、経験を積みながら自分を磨き、力をつけ、自分で判断しながら生きていけるようになれば、夢見て終わることはありません。

 

私たちはみんな違います。

 

それぞれが感じることや思うことは、他の人と似たようなことや同じようなこともありますが、大きなものや微細な違いもあります。

 

ですから、幸せを感じることも人によって違ってくるのです。

 

そして自身がなにに幸せを感じるのかが具体的にわかればわかるほど、行動も具体的にしやすくなり、その結果、よりいっそう幸せを感じやすくなります。

 

そこを考えなしに生きていても、やったなりの結果が出るのがこの世界なので、幸せになるんだかならないんだかはっきりしないことをやれば、やったなりの結果になるのは当たり前です。

 

問題少なく生きられても、物足りなさを感じていれば、幸せとは思えない人もいるでしょう。

 

また、人のために生きたいと言っても、覚悟なく自分が犠牲になれば不満がたまるでしょうし、きれいに生きたいと言っても、お金がなければ貧しさで苦しんで卑屈になるかもしれません。

 

考え足りないことは、あって当たり前です。

 

そこを見て見ぬ振りしたり、何かに執着してごり押しするよりは、経験を通して気づいたところを気づいたときに修正をかけていくほうが、自分が納得いく答えに近づいていきます。

 

現状維持から抜け出すこと、進化に向けて変化し続ける流れに変えていくこと、これが以前神さまから聞いたいまの時期の目標です。

 

そこから抜け出し始めることができた人が、時代が変わり、二極化といわれる中で、生きやすい方向に進んでいきます。

 

当初の予定であれば、一定数の人たちがそこはすでにクリアして、新たな時代に入っていくはずでした。

 

しかし、いまなおぐだぐだに引っ張られて、停滞気味です。

 

そういう時だからこそ、よりよく生きるという取り組みを続けることができたとき、方向性を出しているといえるようになっていくのです。

 

とにかく今は、できる中でできることを、少しでもいいので続けてみてください。

 

その取り組みが、いずれ自らを生きやすくしていきます。