国津神と私たち

◎神話にでてくる国津神と変わらない私たち

これまでもありましたが、時折受け取るインスピレーションや神さまからのお話など、掲載しないで1日経つと、もう次の展開になっていく、そんな印象から、最近改めて展開の早さを感じています。

 

これから私たち自身やその身の周りで起きて目にするものは、現実とは異なる演出のお話でもなければ、自分に関係のない他人事でもありません。

 

私が数年前から見聞きしてきた巷で出回るアセンションの話は、耳障りのいいものが大半でしたが、ひろかねさんからお話を聞くようになってからは、底抜けに甘い考え方をしていたことに何度も気づかされていきました。

 

大本教の本を久しぶりに引っ張り出して読んでみると、素戔嗚尊が嘆くシーンがあります。

 

そこには、地上にありながら天界にばかり思いをはせて、この地上でやるべきことをやらない国津神たちが描かれていました。

 

そうした者たちにほとほと愛想をつかした素戔嗚尊は、地上を離れて黄泉の国に行くことを決意するのですが、私たちがスピリチュアルに触発されて考えなしにやってきたことは、この国津神たちと変わりがありません。

 

いつの時代も、同じようなことが繰り返されてきたのかもしれませんが、過去は過去です。

 

神話は神話です。

 

私たちは私たちです。

 

いま私たちがどう生きていきたいのか、いまはそのことを考える時期にあり、そのことを突き詰めよりよい方向に成長していくことで、これからの時代を乗り切っていくことができる可能性が高まるのです。

 

それを実践することで、自由に生きられるようになっていくのです。

 

それはなにかに任せたりゆだねる話ではなく、自分でやるから結果として起こることです。

  

この世界で生きていくうえで当たり前のこと、基本的なこと、そういうことを理解し、実践できるようにしていかないことには、見えない世界の話はその先のことですから、意味がないのです。

 

この世界できちんと生きられれば、見えない世界でもある程度通じることが分かっていきます。

 

そこを否定して物事を考えていても、やることやらないで上ばかり見上げている愚かな国津神たちと変わりません。

 

 

 

 

◎自分がやっていること

有るものを有ると認める、たったこれだけのことができないのが私たちです。

 

そんなものはあっていけない、と、一生否定し続けて人生を終えていく人も少なくありません。

 

否定しているものに気づかなければ変わらない、それは覚醒した人でも同じです。

 

いまアメリカでは、大統領選挙をきっかけに様々な否定が溢れ、ひしめき合っています。

 

一方で、その否定に呑み込まれないよう、自分たちの方向性を見失わないようにしている人たちも多くいるようです。

 

選挙で誰を応援するかは確かに投票する人にとっては大事なことですが、これからの時代を生き抜いていくにあたり、意識レベルを上げるということで考えるならば、否定を減らしていくことは必須です。

 

全肯定でいう肯定と否定は、それぞれ「存在を肯定する」「存在を否定する」ということです。

 

「有るものを有ると認め」、「有るものを無いことにする、認めない」ということです。

 

否定的な思いこみで行動に移せば、因果応報によって自分になにが返ってくるでしょうか。

 

誰かが命を奪う、エネルギーを搾取する、そういうことは確かにあるかもしれません。

 

しかし、それは相手の話であり、片面でしかありません。

 

自分が片棒を担いでいるからこそ、それは成り立ちます。

 

自分が導きいれるようなことをするからこそ、その事が自分の身に起きていくのです。

 

今起きていることは、過去自分がやってきたことの結果です。

 

今やっていることが、この先に返ってきます。

 

存在を強く否定すれば、なにが返ってくるのか。

 

自分を犠牲にしたり、誰かを否定して、生きづらくなることをすればどうなるのか。

 

自分がやっていることをチェックしてください。

 

おかしいと気付いたら、それを自分の目的にあったものに変えてください。

 

 

 

 

◎消えるべくして消えていく人たち

世の中の激しさが増すということは、自分がない人ほど、その激しさに翻弄されて自分を見失いやすくなります。

 

天は自ら助くる者を助く、と言いますが、因果応報で考えれば、自ら貶める者を貶めもします。

 

自分を見失った状態で集団心理に取り込まれたかのようになってやらかしたことも、それはあなたがやったことになります。

 

誰が思い込ませようが、誰を信じようが、やった本人に返ってきます。

 

時代が大きく動く中で、たくさんの人が亡くなっていく可能性もかつて書きましたし、それはあちこちで言われてもいますが、それは自らがやったことの結果が自らに返ってくることで起こることです。

 

それがどのようになされていくのか考えれば、病気や自然災害も含め、大きな組織や民族や国家レベルでなにか起こっていく中で、それに翻弄されて自らを終わらせていくようなことを各自がするからこそ、それはなされていくのです。

 

生きていきたいと自覚できていれば、生きていけないようなおかしなことはしないと思いがちですが、無意識の思い込みでやることは意識してやることとはずれがあります。

 

そのずれを何とかしないことには話になりません。

 

だから、それをなんとかしましょうね、というのがエゴのチェックとコントロールなのです。

 

それを放置しておいて、よくなりたい、助かりたい、と言っても道理から外れた無理な話です。

 

それが嫌なら、それを成す人をどうにかしなくてはいけませんが、それが他でもないあなた自身です。

 

そのことをひろかねさんは以前から教えてくれ、私もブログに書いてきました。

 

生きづらくなることを望んでいるなら別ですが、どうせやるなら生きやすくなることをやればいいのです。

 

そのために、これまで方向性をだすこと、エゴをチェックしてコントロールできるようにすること、自分を生きること、などなど、繰り返し書いてきています。

 

また今後も改めて書くこともあるでしょうが、とりあえず過去のブログを読み返して考えていただき、わからなければ話を聞きにいらしてください。 

 

 

 

 

◎あちこちでコップの水があふれだす

神さまからは、来年は今年以上に慌ただしい世の中が待っているといわれます。

 

病気、政治、経済などなど、世界各国それぞれに大変なことが異なりますが、事柄は異なっていても、すでにコップの水があふれたりギリギリになっているようなところが数多くあるため、なにかきっかけがあると、あちこちで次々と大変な状況になるようです。

 

もしかしたら、来年を待つことなく、激しい世の中を生きることになるかもしれません。

 

アメリカで起きていることは、これから世界各地にひろがり、大小さまざまそれぞれ形を変えて起きていくことです。

 

いま穏やかに過ごせていたとしても、この先も同じだという保証はどこにもないのです。

 

今やっていることがこの先返ってくるのですから、この先穏やかに過ごしたい人は、自分がどうしたいのか考え、穏やかに過ごせるなりのことを今やることです。

 

その前に、これまでやってきたことが、これから返ってきます。

 

 

 

◎余談

余談ですが、これまでここで学び一生懸命やってきた人たちは、いま調整が入っているそうです。

 

中には、歯車がかみ合わないような、なんとなくいつもと違う日常を過ごしている感じがする人もいるかもしれません。

 

しかし、うまく事が運んでいなくても、くたびれていても、やることはしっかりやるようにして過ごしてください。

 

月末から年末にかけて徐々に歯車がかみ合ってくると、しっかりした感じになっていくそうです。

 

 

更に余談です。

 

数日前から、世の中に対して妙な流れの良さを感じます。

 

しかし、それはスムーズに流れているようで、実は滝つぼに吸い込まれるようにコントロールが効かないで流されている、吸い寄せられている、そんな気持ち悪さがあります。

 

大河や大海の話がありましたが、大海に吸い寄せられているのかもしれません。

 

大海に出ることはすなわち、後戻りが効かないことを意味するそうです。

 

どうにも引き返せない、もうあの頃のようにはならない、そのことを大海に出た後、気づくことになるそうです。