砂上の大国

◎感じることなど

 

世界各国、コロナをきっかけに、大変なことがいろいろあるようです。

 

いまのところ大きな変化はないものの、例えば中国になにかあれば次はアメリカで、何かあった時に力の均衡が崩れることで大きく動き出すものがあるそうです。

 

トランプ大統領はがんばっているのですが、どの政権でもどの国家でも、権力の周りには味方もいれば敵もいるため、思うようにいかないことはもちろん、激しく邪魔をされてもいるため、トランプ大統領も相変わらず苦境に立たされているようです。

 

この先の大統領選挙については、ふたを開けてみるまで分からないくらいギリギリまで熾烈な駆け引きが行われていくようなので、私たちが通常目にする報道やネット上で出回る情報では、「いいように振り回されるのがオチで判断がつかないだろうね」と言われています。

 

トランプ大統領は時代を変えていく役割があるらしく、それは私たちが喜んだり受け入れやすい内容ややり方ではないにしても、ここまではしっかりその仕事をしているそうです。

 

再選されるかどうかでその役割が道半ばで途絶える可能性もあり、私たち一人ひとりの立場や都合によってその印象は異なるでしょう。

 

誰が選ばれるにしても、大変な時代を突き進むことに変わりはありません。

 

ただ、トランプ大統領は、意思表示がはっきりしており、自分や自国に関わる損得に関してもつよく主張するため白黒はっきりする分展開が早くなることも多く、他国を交えて時代を動かすという点でとても力を発揮しているそうです。

 

それぞれの思惑はあるにせよ、そこに自然災害が加わり、人災も重なり、アメリカはこれからますます混沌が増していきます。

 

アメリカについては、地獄の巨釜のような大規模な何かは感じられません。

 

ただ、各州によってその明暗が分かれるというのでしょうか、この先の展開でかなり違いが生じるところも出てきそうです。

 

共通しているところで感じるのは、砂時計の砂が地面の穴に吸い込まれるように、アメリカ全体の地盤が抜けていく感じはするのですが、そこには一枚透明な板状の地盤があり、それをギリギリ食い止めているようにも見えます。

 

その一枚板がなんなのか、いまいちわかりません。

 

国民の矜持としていることなのか、良心のようなもの、という感じです。

 

ただ、自分たちの足もとがどうなっているのか少しは自覚できている、という点が前回の地獄の巨釜との大きな違いでしょうか。

 

その違いが、板の所々の強度の違いや今後の州ごとの結果の違いにもつながっていくように感じます。

 

「景気は一つの目くらまし」とここで一言神さまに言われました。

 

そこには人々の思い込みが強く働くので、ある人たちの都合や思惑で利用されることもあり、それは個々の幸せとはまた別の話しになります。

 

どんな情報も、自分にとってどうなのか、役に立つのか、不自由になることなのか、幸せに生きたければしっかり判断していくことが必要です。

 

 

 

 

◎一つの動き

 

世の中はこれからますます、二極化なのか多極化なのかわからないくらい混沌としていくそうです。

 

原初のエネルギーが働きはじめ、それぞれが抱く強い思いは加速しやすくなっていますが、不安やおそれという思いとそれに付随して動く感情が、これから大きく世の中を動かす時期に入っていきます。

 

思いは行動に移すことで形になり、この先のそれらが反映された世界が作られていきます。

 

どういう世界が現象化するかは個々で感じるものが違うでしょうが、集合意識としてつくられるこの世界にはそうしたものが色濃く反映されることになり、多くの人たちにとって生きづらい時代へとどんどん変化していきます。

 

そうなると、責任転嫁を得意とするエゴから不満が噴出し、優雅に力をもって過ごせている人たちへの風当たりが強くなっていくこともあります。

 

誰かを陥れようとする動きも活発になっていきます。

 

一人絶望してしまうことも時にあるでしょう。

 

自分の幸せのためにいまできることはなにか、そう考えることは意識しないと行動にうつすところまでいきません。

 

つまり、だまって待っていてもそうはならないのです。

 

多数であるほど、個ではできなかったことをやるようになっていきます。

 

しかし、同時に自分がない人ほど自分を見失い、集団に呑み込まれて自分の幸せのためになることとは異なることをやり続けていきます。

 

現在、それはすでにコロナ騒動の影響で現実化していることですし、このブログを読みながらも、自らがのまれ始めていることに気づいていない人もかなりいるそうです。

 

 

 

 

◎成長を感じて

 

多くの人が生きやすくなるような動きとなるのか、欲や不満にのまれてわけがわからなくなっていくのか、自分がない集団のエネルギーの向かう先は、その時力を持っている人たちの力とつよさによって違っていきます。

 

しかし、集団に迎合することなく、自分は自分、と理解して生きることもできるのです。

 

他を否定することなく自分の幸せをまず考えることができるようになっていることが、今の時点ですでに大事な気づきのテーマとなっています。

 

その取っ掛かりをつかめている人は、実生活の中で磨いていけばいいでしょう。

 

このブログを書く以前から、地道にここまで取り組みを続けてきた方たちの成長は、派手さはなくとも目を見張るものがあります。

 

最近も話をしていて、あることについてそのことに気づける、違和感を覚えられる、それくらいのところまできている人たちがいました。

 

そこまで気づけるようになってきたのか、とうれしかったですが、まだご本人たちはそのことに気づいていません。

 

世の中が荒れて激しくなるほど、周りとの差で自分の立ち位置を知ることになっていきます。