変わる基準

◎みなさんにやってほしいこと

 

先月の後半はこれまでにないくらい忙しく、ブログを更新する時間も元気もなく毎日が過ぎていきました。

 

このブログはいらしてくださる方へのフォローとして書いている内容が多いので、本業が忙しいときには更新が滞ることもあります。

 

そこで改めて提案があります。

 

大事なことはある程度これまで書いてきています。

 

目新しい話や華やかな話題だけ見ていても、自分の成長につながるわけではありません。

 

更新がないときなどは、過去のブログを読み返す時間にあてていただくと、その積み重ねは後々大きな違いとなりますので、ぜひ意識して過去のブログから学ぶ機会を作るようにもしてください。

 

アルーナ暁子さんの動画も、ひろかねさんとほぼ同じことを話しています。

 

私はまだレベルが低いので、ブログに関しては言葉や表現が足りないのはもちろん、自分で経験していないことも含めて書いてきました。

 

そのため、わかりづらいところはあると思いますが、ひろかねさんから教えてもらったことを理解できた範囲でここに書き続けてきました。

 

読み解く側にとっては大変だとは思いますが、それらをもとにひろかねさんの教えてくださっていることを自分なりの理解でいいので考えてみてください。

 

そして、ひろかねさんとアルーナさんとでは表現の仕方は個性の違いで異なりますが、ご自身の理解したことを踏まえてどこが同じなのか考えてみていただくと、気づくことがあればそれだけ自分の成長につながりますし、お二人のレベルの高さが少しは分かるかもしれません。

 

少しでもわかれば、他の方たちが話していることがこれまで以上に理解できるようになるので、意欲のある方にはぜひやっていただきたいと思います。

 

 

 

 

◎すでに基準が変わっている

 

私たちはすでに、新たな段階へと足を踏み入れています。

 

夏至を過ぎると一時穏やかになると書きましたが、もっと前に、この先負荷が積み重なっていくというようなことも書きました。

 

私たちが暮らすこの世界は、昨年暮れ頃とは日常としての基準がすでに変わってしまっており、新型コロナの騒動があって当たり前の世界で暮らしています。

 

コロナ以前の基準での穏やかさではないのです。

 

一時、と言われる所以は、コロナの騒ぎに匹敵するかそれ以上のことがその「一時」を過ぎた頃にまたなにか起こるからなのでしょう。

 

以前と比べていまはある一定の負荷は当たり前で、その中で次の負荷に耐えられるような成長をしていかないと、どんどん厳しく感じる人たちがこれから急速に増えていくようです。

 

何に対して負荷を感じるかと言えば、自分自身の考え方に由来する生きづらさです。

 

生活がかかった経済的なこと、家族や近所の人たちや仕事の同僚、関わりの深い人たちとの人間関係から生じるあれこれ、物質的なことや食事などの身の回りのあらゆること、それらをきっかけとして表に出てくる自分のなかの歪んだ思いです。

 

そこに経済や社会の混乱や自然災害などが重なっていくことで、「考えなしに生きていてもなんとかなると思い込んでいた世界」から「必死に考えて動いてもどうにもならないかもしれない世界」へとシフトし始めています。

 

 

 

 

◎自分を変えられるのは、気づくから

 

私たちの多くは、「自分が正しい」という一段高いところからものを見る癖がついています。

 

しかし、実はその自分自身が、まずなによりもまともにものを見えていないので、理屈にあったことがわかっていないうえに、自分が日ごろ口に出していることと、実際にやっていることが矛盾していることにも気づけません。

 

有る年配の女性が、「私は悪口を言わないようにしている」と言いながら、その直後に「あの人はあれだからダメなのよ」と、舌の根も乾かないうちに陰口をたたいている姿を見て驚いたことがあります。

 

しかし、私たちは自分が気が付かないだけで、知らず知らず言っていることと実際の行動がずれてしまっていることが、日々の生活のあちこちにあるのです。

 

ですから、まず気が付くことです。

 

気が付けば変えることができるので、気づきが大事になります。

 

気づくためには、気づこうとすることです。

 

成長しよう、よりよく生きていこう、という方向性を出して生きる姿勢は、気づこうとする取り組みの基礎部分です。

 

気付けば考え方や行動が変わるので、ずれも正されて、思うような結果が出やすくなります。

 

これまで何度も書いてきていますが、方向性を出して取り組むことは、とても大事なことなのです。

 

 

 

 

◎すでに始まっている

 

コロナに比べて影響力が少ない災害などは、穏やかと言われている一時の間でも、各地で起きてきます。

 

洪水で数百人亡くなったとしても、地震や火山活動の影響で数万人が生きづらくなっても、それは局所での出来事であり、一つの事象をもとに発生するインパクトとしては弱く、全体として問題になるには規模が小さい、ということになるのだそうです。

 

考えて生きることが大事なのだと気づいた時、土台となる考え方がわかっていないと、まともな判断などできるはずがありませんが、そのベースになることを、これまでのブログでは書いてあります。

 

例えば、人との関係について自分では経験していないことでも、繰り返し読むことで考えることはできるので、そこで自分なりの考えをまとめていく、自分なりの結論をだしてみることで、日常生活の中で確認したり気づく機会を増やしていくことはできます。

 

これから先、さらに何か起きてからではとても対応が追い付かない人が増えていきます。

 

ふるいにかけられて落ちていく人はいます。

 

すでにそれはあちこちで出ているのです。

 

本人にその自覚があるかどうかに関わらず、手遅れになることも起きているのです。

 

いまから慌てて何かやろうと気張っても、全部をきっちりやろうとしたところで、そうそうできるものではありませんし、長く続きません。

 

少しずつでもやった分だけ変わる、という実感があれば、意欲も出てきて続けやすくなります。

 

休む時には休み、くつろぎたいときにはくつろげばいいので、自分のためになることはできるときにやるようにしてください。