感情について思うこと、など

◎感情について

 

社会性を気にしたり、エゴを薄くしたり無くす目的だったり、何らかの理由で私たちは「感情を抑える」ことがあり、それが癖になっている人もいます。

 

喜怒哀楽について以前書きましたが、感情を出さないようにしていることで、楽しいことが分かりづらくなってしまうことがあります。

 

楽しさとは、「気分がいいこと」のある一面です。

 

幸せに生きようと思ったら、好き勝手に生きてもうまくいかないことがあるので、感情を抑えるのではなく、自分の目的にあった使い方をできるようにコントロールするといいでしょう。

 

感情は一時的にエネルギーを膨らませるので、いつも以上に力を発揮できることがあります。

 

怒ればいつも以上に暴力的になることがあります。

 

いつもはつまらない仕事でも、好きな人と一緒であれば、時間を忘れて頑張れることもあります。

 

何かショックなことがあって落ち込んだ時の哀しみは、いつも以上に強く自分を抑え込んでしまうため、一時的に引きこもって日常生活ができなくなることもあります。

 

それぞれの感情には違いがあり、感情にのまれればやりすぎておかしなことをしてしまうこともありますが、幸せに生きようと思うならば、無理に感情を抑え込むのではなく、理性を使って感情を上手に使えるようにしていくことです。

 

これまで自分が取り組んできて、方向性を出しながら物事の道理や理屈を理解するほど、感情にのまれることは減っていく実感があります。

 

感情にのまれた時、方向性を出していなかったり照らし合わせて考える道理がわかっていないと、どう考えていいのかわからないため、いつまでも怒っていたり、落ち込んで立ち直れないのではないかと思います。

 

べつにいつまでも怒り続けたり落ち込んでいてもいいとは思うのですが、それを続けていても幸せにはならないので、方向性を出していることの意味は、そういう場面で理解する人もいると思います。

 

今回、この先の文章もあったのですが、データがとんでしまい更新を断念しかけました。

 

しかし、ここまでは残っていたことと、簡単にあきらめないこと、その時できる精一杯をやることなど考えて、更新することにしました。

 

今回の内容は半端ですが一端これで区切り、次回から改めてテーマや文章は考えることにします。

 

 

 

◎ひろかねさんの言葉

 

最後に載せようと思っていたひろかねさんから聞いた言葉を掲載しておきます。

 

 

 

自由に生きるのは勝手

 

でも責任もとることになる

 

最終的に責任とるのは自分だが

 

そのことわかっているのか