天界の人さんからのコメントを受けて

 

先日更新したブログに、天界の人さんからコメントをいただきました。

 

この方が、どういう目的で私のブログを読んでくださっているのかはわかりません。

 

しかし、せっかく思うところを書いてくださったので、ここをご覧になってくださっているみなさんの学びのヒントになるかと思い、聞かれたわけではないので回答もなにもないのですが、コメントをきっかけに思うところなどを書くことにします。

 

分けて掲載することも考えましたが、ひとまとめで載せたほうがいいように感じたため、このブログにしては珍しい長文で掲載しておきます。

 

 

 

天界の人さんからのコメント

 

『だいさん

 

初めまして

 

宇宙全史や質疑応答7の解説を見て一言

 

冬至を過ぎてからの彼の伝える事当たってると思うけど。

 

視野が狭いね。』

 

『だいさん

 

伝え忘れてた。

 

余り、人の見えない世界の邪魔はしないこと

 

ひろかねにも伝えといてください。』

 

 

 

なにを目的にしているのか

 

さっぱりした書き方ですね。

 

エゴで書いているブログなので、おっしゃるように視野がせまいところもあると思っています。

 

どこがどう当たっていると思われているのか書かれていませんが、そこについては、私なりに思うことを書いていきます。

 

まず、かつて宇宙全史は月読の大神のワークといわれていましたが、いまでは月読の大神と繋がらなくなってしまっている、という見方をしています。

 

そして、エゴの価値観を優先しながら、本来の目的とは違うところに向かってしまっていることを前回書きました。

 

「当たっている」ということで、何を言っているかは大事ですが、意識の進化という方向性に向かうために、トータルでなにが大事になるかをまず考える必要があると思います。

 

例えところどころで当たっていることを書いていても、ゴールできないなら意味がないと思っています。

 

なぜ当たっていると思えるようなことを虚空蔵さんが書いているか、そのこともいくつか理由として考えていることはあります。

 

しかし、それらを踏まえてなお、総合的に判断して、前回書いたことの方がここで学ばれて成長しようとがんばっている方たちにとって大事だと思い、私はあの内容を書いています。

 

 

 

だますこと

 

改めて、なぜ前回のブログを読んで視野が狭いと感じたのか、そこを考えてみました。

 

極端な表現に聞こえるかもしれませんが、人をだます、ということで考えてみてください。

 

どうやったら人をだませるでしょうか。

 

人をだますには、まず信じさせることです。

 

信じ込ませて心の隙ができたところに、ウソを混ぜ込んでしまうと、受け手は気付くことが難しく、要は歪みをそのまま受け入れてしまうことになります。

 

例えば、95%本当のことを言って、すっかり信じたそのあとに5%のウソをいれる。

 

たった5%だとしても、この5%がその人にとって「だまされる」という致命的な結果をもたらすのですから、本気で結果を望むのであれば、なにを言っているのかよくよく考えて話を聞かなくてはいけません。

 

 

 

なにをどう見るのか

 

「当たっていると思うけど」

 

「視野が狭いね」

 

この言葉を、一度考えてみてください。

 

エゴでやることですから、間違いはあって当たり前です。

 

少しでも役立つ情報であれば、それを活かしていけばいいだけです。

 

そういう見方をすれば、間違っている事や歪んでいる事に目を向けても仕方ないと判断されることもあると思います。

 

しかし、今回は総決算と言われている時期であり、その歪みに気づかないことでこれまでの取り組みをすべてご破算にしてしまう可能性があるのであれば、そこを無視して前に進むことはできません。

 

中途半端なポジティブ思考で、物事の片面だけ見ていると、あとで返ってきたものを見て「こんなはずじゃなかった」ということにもなってしまいます。

 

ウソや歪みに気づいていけるのか、このことが意識の進化を通して新しい時代にシフトする一つの鍵になります。

 

本気でアセンション方向のゴールをめざすのであれば、覚醒者でもピンキリなのに、覚醒もしていないエゴの人の話をまんま鵜呑みする怖さを考えなくてはいけません。

 

 

 

自分を信じる

 

虚空蔵さんはまだ覚醒していませんよね。

 

虚空蔵さんのことを信じている方たちは、彼を覚醒した人たちと同等かそれ以上にみています。

 

ゴールもせず覚醒していないエゴを覚醒者と同等に扱うのは、ありのままを見ていない、ものごとを歪めて見ているということになるのです。

 

エゴはエゴです。

 

不完全な存在です。

 

特別視した私たちがよくやることですが、不完全な存在が自分の人生を預けられるほど正しいことを言っている、そう思いこむことがそもそもおかしいのです。

 

そうは思っていません、といっても、鵜呑みにして間違ったことまで信じ込んでいる姿を見ると、理解できていないことがわかることも多々あります。

 

その5%にあたる歪みに気づかないと、あとで後悔するよというお話です。

 

5%がわかっていて、他の95%を自覚して活かしているのであれば、わざわざ書く必要もないことだと思っています。

 

しかし、実際のところは、思い込みで判断したあと、それ以上は考えようとはしない方が多いのではないかと思います。

 

虚空蔵さんのことを信じたい、そう自覚している方は、ここをわざわざ見る必要はないでしょう。

 

これからの時代に生き残っていくには、信じるべきは他者ではなく自分自身です。

 

先日覚醒した方も、このことが一つ課題としてクリアできたため、結果、覚醒に至っています。

 

 

 

なぜそうしたことを書くのか

 

取り組みの姿勢としては、自分で判断したことを行動に移して、おかしなところは修正していくことです。

 

1:自分の意識の進化に役立てられると判断すれば、まずやってみる。

 

2:よくわからないけれどおかしい感じがすれば、判断を保留にする。

 

3:間違った考え方は自分を退化させることもあるので、気づいた時に変えていく。

 

自分よりものごとをわかっている人に教えを乞う場合、自分よりものをわかっている相手なので、その人の思いこみや間違った考え方がどこにあるのかわかりません。

 

なぜなら、自分より意識レベルの高い存在がしている間違った判断を、下位のレベルの者は気づけないからです。

 

気づけないから、その者よりも下位なのです。

 

3については、人やテーマによっては、何回も転生して初めて気づくことができる、というものもあると思っています。

 

ですので、そこを書いて皆さんに考えていただくことにより、少しでも理解をしていただき、効率的に成長してもらいたいのです。

 

ここでは時間が無い中で効率的に学んでいただくために書いているため、時にそうした3のようなことに特化して書くこともありますが、5%に特化して書けば、視野が狭くうつることもあるでしょう。

 

感情を使って書いているところもあるため、なおさらそう映るのではないかと思います。

 

               

 

状況が変わってしまった

 

以前も少し書いたと思いますが、ひろかねさんはその後もしばらくの間、BBSへの書き込みを続けていました。

 

ひろかねさんは暇つぶしと話していましたが、私の神さまからは「彼を救おうとしているように見えるけどね」とも言われていました。

 

実際にその頃から、私から見ていてもBBSでの回答は、ひろかねさんにエゴを指摘されないよう注意して書くようになったためか、言葉や内容が丁寧になっていったと感じます。

 

過去にやってしまったことはこれから返ってくるだろうけれども、その人にとっていま学べることがあるのなら、それはそれでいいことだと思って見ていました。

 

しかし、最近は学びを上回るくらい引き込む力が強まっている感じがするので、このままでは「見届ける」つもりで見ている方たちにまで影響がありそうだと判断し、前回のブログを書くことにしました。

 

 

 

本人にその気はなくても

 

例えとして「だます」という言葉を使いましたが、本人もだまそうと思ってやっているわけではないと思います。

 

ただ、エゴで気づかずにやっていることの中に、上記の5%に該当することが隠れているため、知らず知らず言っていることと実際にやっていることにズレが生じています。

 

当たっていると思われているところにも、すべてではないにしても、おそらくそうしたものは含まれています。

 

ものごとのとらえ方として、エゴに都合よく解釈することはよくあることですから、笑顔で黙って去っていった神々に対して、その方が語る言葉よりも、実際に起こっていることから現状を推察し、そのことと言っていることを照らし合わせて見ていかないと、その方の偏りや歪みのあるエゴは見えてきません。

 

だますつもりはなかったけれど、結果的にだましてしまったということになれば、結果の重大さに気づくとき、信じてついていった人たちの思いはどうなるでしょうか。

 

今後実際にそのようなことが場合、

 

「そうした方たちの想念が虚空蔵さんに向けられていくことになる」

 

と言われています。

 

 

 

意識の向上は

 

魂の永遠性のもと、これからも進化を続けて本当の最終的な目指すゴールにたどり着くためには、今回の途上の通過点としてのゴールである時期を、意識レベルを高くして乗り越えていく必要があります。

 

皆さんもそう思っているから、学ぼうとされているのではないでしょうか。

 

宇宙全史は、意識の向上を目的に開かれた場だとおもっています。

 

しかし、意識の向上という目的でいうと、優先順位が下がってしまっており、

 

「いまは変わってしまった」

 

「今のままでは立て直しはきかないだろう」

 

というのが私の感じていることです。

 

私はみなさんとは異なり、講師という立場で関わっていましたので、その責務を果たすためにいろいろなことを書き、そのことに気づいてもらえるよう伝えてきました。

 

前回のブログについて、天界の人さんは「視野が狭い」と書かれていましたが、歪みに気づいていただくために5%に該当することを書いているのですから、ある意味その通りです。

 

意識の向上は、学んだ真理を活かして歪みに気づいて変えていくことで、なされていきます。

 

 

 

私が知っているひろかねさん

 

人の見えない世界の邪魔をしないこと、と書かれていましたが、このことについては、いまはこのことについてまったく書く気になれないので、現状が変わった先でお話しできるかもしれません。

 

前提としてお話していることが決定的に違うため、いつか機会があればお伝えしていくこともあるかと思います。

 

ひろかねさんの文章を理解するには、相当レベルを上げないとわからないことです。

 

こう書くと、ひろかねさんに対しての特別視があるようにとられて、またエゴが反発するかもしれませんね。

 

実際に会って何度も話を聞いている私と、あの文章だけで判断する天界の人さんとでは、印象はまったく違うと思います。

 

まず、笑ってしまうくらい視野が広い方です。

 

また、端的に適切な言葉で話されるので、分かりやすくて納得できます。

 

しかし、私の場合は理解できたつもりで、実際はまだまだ分かっていなかったことがほとんどで、理屈を説明されて、その都度少しずつ納得しています。

 

自分の頭の悪さにほとほとうんざりするのですが、こうしたことも、傲慢さを減らしていくうえでは大切なことだと思っています。

 

実際にお話をすると、ひろかねさんは適切な言葉をつかってお話をしてくださいますし、エゴを認めて生きている方です。

 

このエゴを認めて生きることができていないことで、行き詰っている方が相当いるはずです。

 

エゴを否定する方向で考えてきた方や、覚醒者や神さまに対して過剰なまでに神聖なイメージを持ってしまっている方からすると、ちょっと理解にくるしむかもしれません。

 

私の神さまに言わせると、いままで現れたことがないタイプの人だそうで、エゴの完成形とはこういう人のあり方なのか、と話すたびに、本当に毎回うなってしまいます。

 

他にひろかねさんとお話をされた方たちもほぼ同様の反応なので、おそらくそこはそんなに間違っていないと思います。

 

 

 

わからないなりに

 

これからどうなっていくのか、私たちエゴ主体で生きている者たちには、結果をみるまでは本当のところはわかりません。

 

後悔のないように生きるということも、私自身まだ理解に努めている段階ですが、天界の人さんが後悔の無い人生を送られることを願っております。

 

虚空蔵さんを信じたい気持ちから、彼の判断をベースにひろかねさんへの印象を決めつけてしまっている方も多いと思います。

 

私としては、そうした印象はわかってもらえれば変わっていくと思っています。

 

いまはそんな気は起きないかもしれませんが、もし万が一、この先でひろかねさんの教えてくれている全肯定に興味を持ち、意識の向上のために私と話してみたいと思っていただけるのであれば、その時はぜひいらしてください。

 

 

 

余談です

 

余談ですが、昨日今日あたり、なにか大みそかからお正月のような感じがしています。

 

ちょっと不思議な感じですが、このこともあって、一度に長文すべてを掲載しておこうと決めました。