魂に刻み込む ②

いまどこまで取り組んでいるか

 

方向性をだすところまでやったかどうか、それによってこの先どこに向かうかが決まります。

 

転生してくるときにエゴのベースとなるものは、過去、自分が経験して身につけた性格や性分などです。

 

もし今回アセンション方向に進めたとして、そこですべてを忘れて転生して生まれ変わったとき、エゴの歪み丸出しでよりよく生きようとしない魂(全体と方向性の合わない魂)もそちらに行けるのであれば、こうした振り分けをする意味がありません。

 

個々の自由があるので、これからは方向性が合うところでそれぞれやるはずが、これだけの大イベントをした後に、まったく合わない者をわざわざ呼び込むようなことはしないでしょう。

 

いまどこまで頑張るか、それによって行き着く先は大きく変わっていきます。

 

 

 

全体の方向性、自分の方向性

 

この宇宙は進化し続けようとしているのですから、全体の方向性は見えています。

 

問題は私たちです。

 

その宇宙とどこまで自分の方向性を合わせていくことができるのか、そのことをこの宇宙始まって以来の大イベントと呼ばれるような振り分けを通して、問いかけられているのです。

 

この宇宙全体の方向性と合う人たちが、アセンションという方向に向かって進んでいきます。

 

合わない人たちは離れていきます。

 

私たちにとって「よりよく生きるという方向性」が、この宇宙全体が「完璧であろうと変化し続けるという方向性」と合わせることになります。

 

自分が「どんな状況でも」、あきらめずに納得がいくところまでやり切ることで、この先の転生でも全体と方向性を合わせた生き方ができる魂へとなっていくことができるのです。

 

 

 

自分が見ることになる結果

 

知識で終わらせているうちは、あきらめずにできるところまでやった、という経験はうまれません。

 

結果をだしていないということは、やっていないことと同じです。

 

因果応報が働いているのですから、自分がやったことが返ってきます。

 

やったことの結果を自分で見ることになります。

 

アセンション方向に進めるなりのことをやったなら、そういう結果をみるでしょう。

 

やったつもりで終わらせていることは、やっていないことと同じですので、やらなかったなりの結果を見ることになります。

 

そうした経験をもとに、新たな転生が創造されていくのです。

 

向かう先によっては、新たな転生があるかどうかもわかりませんが。

 

 

 

あきらめること、あきらめないこと

 

どんな状況でも「よりよく生きる」ことを、これまでの猶予期間であきらめずにやってきているでしょうか。

 

負荷をかけられてあきらめることがあります。

 

体力が続かなかったり、理解できない苦しさに耐えられなかったり、信じられなくなったり、自信がもてなくなったり、興味がなくなったり、様々な理由であきらめることがあります。

 

しかし、あきらめてやめれば、それまでです。

 

「どんな状況でも」というのは、こうしたことも含むのです。

 

これから私たちに訪れる状況に対して、どこまで向き合っていけるでしょうか。

 

いい情報だけ手に入れて逃げ切ろう、というのはエゴにありがちな都合のいい解釈にすぎません。

 

そういう腹積もりで見ている人にとっては、自分がどれだけアホだったか、心底思い知る結果を見るのではないかと思います。

 

アホはアホなりに、頭がいいなら頭がいいなりに、自分のレベルに応じたところで精一杯あきらめないで方向性をだし続ける、そのために必要な考え方などを、ここでは書いています。

 

読んでわからない方は、いらした時にお尋ねください。