魂に刻み込む ①

すがる対象を差し替えただけ

 

方向性をだすことを、実際のところ私たちはどこまでやっているでしょうか。

 

「覚醒する人と知り合いになっていたら、自分も引き上げてもらえるんじゃないか」

 

そんなバカなことを考えている人もいるかもしれません。

 

ここではこれまで、

 

「自分がやったことが自分に返ってくる」

 

と何度も書いてきました。

 

方向性を合わせて、自分も頑張るからこそ、自分のやったことが返ってきます。

 

しかし、ここを見てくれている人たちの中で、鵜呑みや依存で安心してしまい、自分を生きようとしない人が割と多くいることを、今回教えられました。

 

それがBBSからの縁で学んでくれている方であれば、すがる対象ををさし替えただけです。

 

それでは、どこで勉強しても、あまり変わらないでしょう。

 

「自分を生きる」「よりよく生きる」、そういった方向性をだせるようになってはいません。

 

たしかに、方向性を出している人と知り合いになることで、自分が進みたい方向性をあきらかにできたり、会話や質問することで自分の取り組みの修正ができるため、そうしたことを少しでも行動に移していくならば、自分の運命を良くしていける可能性はでてきます。

 

しかし、鵜呑みや依存で終わらせてやることをやらないうちは、この大事な時期になにも変わってはいかないのです。

 

 

 

どこまでやるのか

 

知識を得ただけで行動に移していなければ、結果がでないのですから、大して意味があるとも思えません。

 

また、行動に移したとしても、ただ「やった」というだけでは、方向性を出すというには足りないと考えています。

 

なぜなら、自分が納得できるところまでやりきらないと、単発の行き当たりばったりの取り組みになってしまい、方向性を出しているとはよべないからです。

 

あきらめないでやり続けるからこそ、方向性をだしているといえるのです。

 

 

 

やりきるからこそ土台となる

 

なにができて、なにができないのか、なにがわかって、なにがわからないのか。

 

ありのままの自分を知り、それを認めることで、よりよく生きる土台が出来上がります。

 

やり切らないまま中途半端で終わらせている事ばかりでは、自身の取り組みや結果に対して勝手な期待や都合でごまかしてしまい、ありのままの自分を知ることができません。

 

自分を認めることができないのでは、「今より、よくしていく」という生き方の「今」があやふやなため、「よりよく」という積み重ねる土台があってないような状態になってしまうのです。

 

そのため、そういう生き方を続けていても、自分に自信が持てるはずがありません。

 

積み重ねた自分の実績が自信の根拠となるのですから、やりきらないままごまかして生きてきた人は、自分を信じることができず、信じられそうな誰かやなにかにすがる生き方をしてしまいます。

 

納得できるところまでやることで今の自分を知り、それを認めることで意識の進化につながるような自分の経験にしていくことができます。

 

続きます。