あなたが目を向ける先

◎前回の補足もしながら

 

 

「世の中がおかしくなる」ということと、「世の中がおかしかったことがわかるようになる」の違い、はささいな受け取り方のちがいや言葉のこだわりのように思われるかもしれませんが、結論から言うと、まわりのせいにして不満を漏らし続けるか、自分に目を向けて改善できることに取り組むか、の違いにつながっていく足場となります。

 

 

 

勤め先や結婚相手に不満を抱くとき、相手に問題があることもありますが、自分の見る目がなかった幼さや未熟さにアホさなどに目を向けようとはしない人も多いのではないでしょうか。

 

自分のために生きていて、自分のためにできることをして、やったことが返ってくるという因果応報の仕組みを考えたなら、どこに目を向けて何をするか落ち着いて考えてみると、不満の抱き方も変わるかもしれません。

 

 

 

その意味もわからず「愛だ」「光だ」という風潮が以前はスピ系でよく見かけたと思うのですが、最近は気のせいかあまり見なくなったように思います。

 

現実を踏まえて物事を考えることはとても大事なことです。

 

意欲が出る人もいるのでそれはそれでいいと思いますが、理想や幻想に「ばかり」目を向けていると、目の前のことや身の回りのことを無視して物事を考えてしまうことも増えていくため、実生活では役に立たない生き方になってしまうこともあります。

 

コロナによってそういう風潮への歯止めが多少きいたようにも感じます。

 

しかし、上にも書いたように都合が悪いことは誰かのせいにしようとしたり、どこかの大統領に対してのように誰かに期待ばかりして現状維持に勤しみ、自分ではよくなることをしようとしない責任転嫁は相変わらずです。

 

そうした人たちのこの先の顛末は前回のブロイラーではありませんが、これまでの選択の結果を受け始めて実感することもあるのではないかと思います。

 

 

 

日々の取り組みで思うような結果がでるまでには、相当な時間がかかることがあります。

 

結果がでないで、ひたすら失敗が続くかもしれません。

 

しかし、そこであきらめないで結果につなげる創意工夫を続けられるかどうかで、やり切った人は経験を獲得しますし、その先の自信にもなります。

 

また、その経験によって安易にあきらめないで取り組み続けられるよう活かせたり、手痛い失敗で落ち込んでも、実体験という根拠によって立ち直る足掛かりにすることもできるかもしれません。

 

さらにいえば、その乗り越えた経験に裏付けされた一言一言に力が伴います。

 

今の時期は「寄り添う」ことが一つの課題だと書いていますが、そこにはそれができるなりの経緯があればこそ、なのです。

 

例えば、自分ができなかったことで責めるのではなく、やってきたことを認め、意欲を取り戻しまた方向性に向けた取り組みを少しずつでも始めることができた人にだされた課題です。

 

もしそれができていないと気づけたなら、そのことに気づくことも成長です。

 

よりよく生きることに通じる経験を今後大事にしながら歩んでいただければ、それもその人にとってのある段階の課題をクリアしたと考えればいいでしょう。

 

この先、ますます急速に世の中が大変になるといわれている中で、少しでも生きやすくなるように力をつけるためにも課題を役立てていけばいいのです。

 

小難しい、難易度の高いハードな課題ではありません。

 

ずいぶん前からひろかねさんが教えてくれたことはここで書いてありますから、それらを少しずつでも考えながらやっていけば、だれでもできることです。

 

地道にコツコツやることは地力を養い強固なものにしていきますし、逆を言えば、いざというときにそれまでやってきていなければ、ごまかしもきかずその結果をその身で受け止めるだけになります。

 

 

 

今回の「寄り添う」は、特別視に気づいて減らしていくことがメインの課題となっています。

 

今の時期の課題となっている特別視については、最近いらしている方に少しずつお話しをするようにしていますが、次の課題に向けてのステップとなっていくもののようです。

 

 

 

これまでひろかねさんから教えていただいたことを、実生活で確認し、理解できていなかったことをかみ砕いて少しでも理解していく時間はそれなりにあったはずですから、ここからは少しでも力をつけたものを、自分のために役立てていけるといいと思います。

 

身に着けた分だけ足場がしっかりし、次につながっていきます。