副守護神の話

◎悪霊ともいいます

 

最近、特定の方の負担が大きく増す可能性もありどこまで書いていいかわからない状況が続いていたので、更新も手が付かずにいました。

 

とりあえず、底を脱して改善のめどもたちつつあるため、断片的にでも書けることは書いておこうと思います。

 

 

 

少し前に「はじめのブログ」で動画を紹介してありますが、その内容のなかにでてくる存在について少し書いておきます。

 

いわゆる悪霊です。

 

動画では副守護神(悪霊)という書き方をされていることからもわかるように、私たちにとって排除すべき存在ではありませんが、かかわり方となるとかなり注意を要すこともあるでしょう。

 

詳しくは動画を見て考えていただければいいのですが、なじみのある言葉にすると、守護霊が精神を司り、悪霊が肉体を司っているということになるようです。

 

そのバランスが保たれていれば、通常私たちがその悪霊にかかわることはないようですが、なんらかのきっかけでそのバランスが崩れると、状況は一変します。

 

想念と経験が支配され、自分であることが非常に困難になってしまいます。

 

私が携わったケースに関して「なんらかのきっかけ」とは「特別視」でした。

 

そこをつけこまれて上手にからめとられていき、信頼を得てからじわじわと乗っ取ろうとされていました。

 

これ以上は書きませんが、大変な時期に入り、これから他の人たちにもそういうことが起こりやすくなっていく、ということがあるようです。

 

社会的にも下地もできているので、弱っている人や特別視がつよい幼い人など、様々な負荷が増すにつれて大変になるかもしれませんね。

 

私はさきがけて経験している方たちにかかわらせてもらってはいますが、その中でひろかねさんが教えてくれたことを日ごろから実践することが、やはりこれからの時代を生きていくうえでとても大事なことであると実感しています。

 

 

 

別のケースの悪霊からは「祟(たた)る」ということについて話されました。

 

「じわじわすこしずつやるんだよ(薄ら笑い)」

 

これはよりよく生きていく取り組みでも同様で、方向性に合った地道な取り組みが結果につながることはわかると思います。

 

ようは自分がどの方向に気持ちをつよくもって日常を過ごせるか、ということですし、日ごろから自らの方向性を自覚する、エゴのチェックとコントロール、それらを意識して取り組めていれば、やっていない場合と比べて結果が大きく違っていきます。

 

しかし、焦ったりパニックになったところで、そういうことをやろうと思っても、日ごろやっていないことができるはずもありません。

 

特に意図的にかかわってくる彼らは、善人のふりして近づいて、特別視をあおってだまして信頼関係を築いてから豹変する、なんてことを平気でやります。

 

会話の中に紛れ込ませる嘘や誘導するためにつるされたエサを知らず知らずつかまされて罠にはまれば、日ごろ冷静に対処できると思っていても、簡単に掌で転がされて引きずり込まれてしまいます。

 

誰かが助けてくれるわけではありませんし、そういうことに長けた専門家に頼むとしたら、相当お金がかかります。

 

またそれが祓える対象ならいいですが、祓えない対象に対してどう対処するのか。

 

本人があきらめないでいられれば改善の可能性はわずかでもありますが、大半の人々にとっては「そういう結果がでてからでは遅すぎる」ということを改めて思います。

 

ひろかねさんが教えてくれたことを日頃からの地道に取り組むことが、よりよく生きられるようにしていくことはもちろん、自らを危険にさらすことから遠ざけてもくれます。

 

 

 

話は変わりますが、「日本から始まる」という言葉の意味について。

 

これは、「にほん」と「ひのもと」では、指し示す対象が変わるようです。

 

「ひのもと」は、私たち個々のエゴから改革が始まることを意味しているそうです。

 

確かに外部環境の変化もあるでしょうが、負荷をかけられながら私たち一人ひとりの地道な取り組みを本格的に始めることで、新たな動きの起点となるのかもしれません。

 

全体にどういう影響があるのか、エゴの私たちが気にしたところで思い上がっておしまいかもしれませんので、あまり気にする話ではありませんが、自らの目の前の課題に取り組み続けていくことで、自身がより生きやすくなったり、この先社会がよりいっそう大変になったときに、そこで耐えて乗り越えていく力を身に着けていくことになりそうです。

 

その起点となる問題への取り組みの期間が、今年の2月から5~6月の間に問題を自覚、そこから8月上旬にかけて問題解決に向けて取り組み一定の結果を出すことで、次のステージに上がり次の課題に取り組むサイクルへと入っていく、ということがいわれていました。

 

いちおう断っておきますが、これを見て焦って自分のことを無理にこじつけようとしないでください。

 

やるなら腰を据えて日ごろから取り組むことです。

 

地獄化や大峠という言葉を使ってブログを書いてきていますが、そういう時期にステップアップする取り組みを自覚して始められた人は、日々の取り組みがあればこそです。

 

そこで提示される課題は、人から見たら「そんなことか」、というものかもしれませんが、その人が力をつけてこの先よりよく生きていくためには大事なステップになります。

 

このことは、その時期が過ぎるまで書くことはしないように、ということでしたが、今回ようやく書くことができました。

 

実際どうなっていくのかわからない中で不確かな話に思えることを書いたとしても、特別視をあおるだけであれば意味をなさないばかりか、今の時期であれば先ほど書いた存在に付け込まれるスキを増やすだけです。

 

目的に合った内容でやることやって結果がでることで、自らの生きやすさを実感できれば、それでいいことです。

 

生きやすくなっていればそれで困ることはありません。

 

しかし、状況が大きく変わることがあると、いまやっている取り組みでは足りないかもしれませんが、取り組みが少しでも身についていれば、絶望しないでそこから立て直しを図ることができます。

 

それがあるのとないのとでは、また大きな違いとなります。

 

 

 

興味がある人もいるだろうと思って今回は書きましたが、目の前の課題、自分が生きやすくなるためにやれることをやる、というだけの話です。

 

分かりもしない見えない世界を気にしすぎてもしかたありません。

 

確認できる範囲で自分の方向性に合った優先順位の高いものからやれることをやってください。

 

 

 

ひろかねさんに教えられたことの大事さが、ここにきてさらにわかってきました。

 

自覚しているつもりですが、理解に時間がかかりますね。

 

 

 

 

◎補足

 

ここまで書いたので、書き足しておきます。

 

陰謀論として扱われるような内容が巷にはあふれていますが、簡単に考えてみると、「より多くの人を地獄に引きずり込むことが目的」といえるのではないでしょうか。

 

情報に振り回されて正義を振りかざしているつもりでも、その思いで行動して行きつくところはどこでしょう。

 

確認もろくにできないことをこねくり回している暇があったら、自分のことをもっと必死にやっておいたほうがいいですよ。

 

実際にこの先、世の中がどうなっていくのかは、その時になってみないとわからないと思っています。

 

最悪ではありませんが、起こりうるケースとして想定していたものを考えると、逃げ場なんてどこにもありません。

 

そうなったときに少しでも負担を減らせる方法、抜け出ていく方法、自分の幸せのために生きる方法は、ひろかねさんが教えてくれたことだと改めて感じています。

 

 

 

最後に余談です。

 

今年の8月のお盆は、例年に比べあまりいい気がしません。

 

台風7号もそうですが、何かと振り回されていないか、折に触れてチェックするといいと思います。