コロナについて考えていたこと、など

◎コロナについて考えていたこと

すでに諸説でているため、改めて書くようなことではありませんが、以前から考えていたものの、ここには書いていなかったかもしれない新型コロナ「など」の症状について思うことです。

 

「など」がなにを指しているのかは、自分で考えてみてください。

 

 

 

 

血栓や血管の問題が取り上げられることがあった頃に考えていたのは、スパイクたんぱく質が血管内に細かい傷をつけているのだろう、と考えていました。

 

大動脈解離は即座に命に関わることもあるものですが、それも含めて考えると細かい傷ばかりではないかもしれません。

 

そこから単純に考えてみます。

 

傷がつけば修復が始まります。

 

私たちがケガをすれば、傷口が回復する過程でよく目にするのは「かさぶた」です。

 

それが体中の血管内で細かな傷の修復で発生した場合、そのかさぶたがはがれて全身をめぐりだすと、一定量に達した時に血栓となるのかもしれません。

 

そして血管がつまり、破損することも考えられます。

 

それが脳で起これば、脳梗塞や脳出血へと至り、そこまで大きなものでなければ軽い認知症や躁鬱症状なども起きるかもしれません。

 

毛細血管について考えてみると、例えば眼球、肺、指先、脳、その他体中全身あちこちにあります。

 

眼球であれば飛蚊症のようなものから視力や視野の障害、肺であれば呼吸症状、指先は血流障害からくるしびれや知覚鈍麻、脳は先ほどもかいたように軽度の認知症や物忘れなど、それぞれ症状として起こりうるものが考えられます。

 

 

持病がある人や太った人が重症化しやすい、という話を一時期見かけていましたが、体に現れている症状はもちろん、薬との相性やコレステロールが高く高脂血症にでもなっていれば、血栓による影響はより強くなります。

新型コロナはただの風邪という話もありますが、私はそればかりではないと思っていますし、いまとなってはどうしようもなく、この先時間差で後遺症のようなものも出てくるかもしれないと思っています。

 

そして、それはワクチンを打っていても打っていなくても発症しうるものと思っています。

 

ワクチンに頼るどうこう以前にやれることはたくさんあるはずです。

 

以前書いたように、野菜や発酵食品を意識してとるようにしたり、気持ちよく息しながら過ごすことを心がけたり、不必要な消毒をしないようにしたり、体を動かして体温を定期的に上げたり心拍数を上げて体全体の隅々まで血流をよくする、陽の光にあたる、ストレスを減らす、否定的な考え方を減らす、など、まずは健康的な生活を心がけて過ごすことをすればいいのではないでしょうか。

 

薬や毒素排泄にサプリなどで対処する方法が研究されたり試されたりしているのは知っています。

 

実際にそれで楽になった方たちもいるようですし、効果があるのであればなによりです。

 

ただ、コロナは私たちの中に隠れているエゴの歪みをあぶりだしている、という見方をしているため、対処療法で解決しても、考え方の歪みを変えないことには、先送りにしたり差し替えただけで、また同じようなことは繰り返されていきます。

 

コロナが収まっても、また次の病気や障害をおうようななにかがおこり、治ったようでまたぶり返すなど、ずっと形を変えてカルマはついて回ります。

 

一人一人が体の症状と併せてそちらもよりよくしていくことで、時代がある一定の方向に向けて動き出し、転換していく可能性が開けていきます。

 

 

 

 

 

 

◎息子がみた夢の話

先日、息子が夢の話を聞かせてくれました。

 

端折って描きますが、江戸の大火や東京大空襲に原爆投下など、時系列に沿って展開する中で、「津波が来るから逃げろ」と先導する人たちが、人々が逃げたあとの土地や建物を取り壊すなどして、どんどん自分たちのものにしていったのだそうです。

(コロナで煽る今の状況に似ている気がします)

 

そして、さらに追い打ちをかけるように後ろから銃を乱射してくるため、パニックになって逃げ惑う人々。

 

自分が無い人々の姿がそこにはありました。

 

かろうじて逃げていく過程で、鍾馗(しょうき)のような侍に助けられて(歩くお地蔵さんが横にいたそうです)、立派な巨大な社を焼き払って供養でもしていたそうですが、気が付いたら自宅の台所で椅子に座っておりそこで目が覚めたのだそうです。

 

私たちは、過去生の記憶をほとんど思い出せませんが、話を聞いていると、私たちが過去の歴史でやってきたことの再試験のようなことを今の時代にあらためて総決算のなかでやっているような気がしました。

 

先日、ある方とのお話の中で、「なぜ私は気が付いたのでしょうか」という問いかけがありました。

 

その時は答えがありませんでしたが、結局過去の経験を通して反省してきたことがあるので、今生気が付くことができた、ということが答えになるようです。

 

確認のしようもない話ですが、結局過去の苦い経験を活かすことなく今生も過ごしていれば、考えなしに言われたことをやってしまい、あとで後悔することもあります。

 

その方が何に気づいたかは、銃で撃たれることをなにかに置き換えて考えてみると、わかる人もいるでしょう。

 

何を選択するかによってその後の運命は大きく変わります。

 

いまは変動の時期にはいっており、これからどうなっていくのかはっきりしない状況がまだ続きますが、新たな役割をもって動き出す人たちもこれから現れてくるようです。

 

 

 

 

 

 

◎狼狽しないためにも

何年もかけて仕組みが切り替わる途上の今の時期は、新たな仕組みが出来上がって定着しておらず不安定です。

 

これまでのやり方が通じない、結果がおもうようにでない、そういうことがことさら増えるかもしれません。

 

そういう時に不注意で足もとをすくわれることもありますが、感情的になって対処しても解決しないどころか、かえって問題を大きくし長引かせることもあります。

 

自身のエゴの歪みを解消する機会だと思って、慌てず丁寧に歪んだ考え方をよりよいものに変えるよう心掛けて対処していくといいでしょう。

 

 

 

ロシアとウクライナのことが騒がれていますが、結局力を持っている人たちの都合でいろいろ振り回されていることがわかると思います。

 

力を持っている人たちは自分の得になるように動くので、手ぶらで帰るようなことはしませんし、先々自分たちが有利になるように動いてもいるでしょう。

 

そこに乗っかってどうこうできるほど器用でパワフルな人もそうはいないでしょうし、こんなことはこれからまだまだあるでしょうから、いちいち振り回されているくらいなら、肚をきめて自分の目の前のことに熱心に取り組んだ方がはるかに自分のためになります。

 

 

なにかあってから反応するのは、日ごろの意識した取り組みの結果です。

 

考えなしにやれば、狼狽して感情的になり、自分を見失っておかしなことをやらかして撃沈です。

 

特に問題なく過ごせているのであればなおのこと、自分が何を大事に生きているのか考えて行動しておくことです。

 

その積み重ねが自らを救い上げていきます。