滞留する厄災のエネルギー

◎滞留する厄災のエネルギー

日本ではない他国に向かった厄災のエネルギーは、その後もその国に留まっています。

 

どうなっていくのかと思っていたのですが、前回更新後、いまのところは一見あまり大きな変化はありません。

 

国の領土の輪郭をなぞるように透明な壁が水槽のようになっている感じで、その中に薄茶色く濁った水のようになった厄災のエネルギーがどっぷりと大地を深く覆うように滞留しています。

 

透明の壁がどこか一部でも瓦解すれば、そこから世界各国にながれでるようにも思えるのですが、いまのところは濁りが強くはなって水かさも目減りしているものの、壁は思いのほか厚く、目立つ動きの気配が感じられません。

 

その分、国内はかなり大変なことになっているのではないでしょうか。

 

不動産会社や電力のことなどが取りざたされていますが、壁が厚く問題が起きそうに感じられないのは、国内問題として済まそうとすることで、他国への影響を抑え込んでいるからなのでしょうか。

 

しかし、私が感じるところでは、その国の状況が急速に深刻な状況に陥ってきたことで、すでに先日の総裁選への影響があったと感じています。

 

問題化する様々なことについては、その国の国内問題として片づけられる話ではないようなので、その国の休日があけた頃から急速に変化が激しくなるのではないかと考えています。

 

 

 

「大変なことになっていくよ」、といわれています。

 

これまでの負荷がコロナのみならず、これまで以上に経済も加えて社会に負荷となって覆いかぶさってくるようです。

 

そのため、改めて「いまのうちに頑張りなさい」という話になっていました。

 

とってつけたように新たなことをやってもたかが知れていますし、すぐにボロが出て行き詰ることもあるでしょう。

 

これまでの取り組みの中で培ってきたものを活かし、手の届くところにあるものを使って、いまできる精いっぱいをすることで、例えわずかであってもこれからに備えることを促していたそうです。

 

 

 

11月以降、コロナに対する扱いが変わる感じがしていました。

 

どうなるかはいまなおよくわかりませんが、あまりいい感じがしていません。

 

今回総理大臣が変わり、政策もこれまでとはまた違ったものになる中で、コロナやそれにまつわるものはもちろん、政策などに起因して起こるあれこれに振り回され、漠然とした印象を言葉にすると、中途半端でぐちゃぐちゃした感じがしています。

 

それに拍車をかけるように他国からのつよい影響があると、かなり厳しい状況に陥る人も増えていくことでしょう。

 

そういえば、昼間にボソッといわれたのが、「コロナだけを気にしていられるような今の状況から一変して、それどころではなくなる人がこれからでてくる」というものでした。

 

一度にたくさんの人がどうこうというものではありませんが、「弱い人から」の弱さの基準が徐々に上がってきています。

 

今回対象となっていく人たちについては、その方たちの生活の経済面での変化が主で、あとは身近な人たちの急変なども含めて、厳しくなるようです。

 

全体から見たら知れているように思える数かもしれませんが、ここを見ている方の中でも他人ごとではない人がちらほら出てくる感じがしているので、これまで自分がやってきたことの結果がどういうもものなのか、知る機会になると思います。

 

一定数の人たちの状況が急速に悪くなるということは、ちょっと考えると、まず政権が変わっての政治的なことか他国の経済問題の影響が可能性として思い浮かびます。

 

思いもよらぬ急展開があるかもしれません。

 

なにかあってから慌てないように、できることをよく考えてやっておくことですね。

 

 

 

まだ厄災のエネルギーがどう動くかははっきりしていないようです。

 

1か月もすれば、何事もなかったかのように過ごせている可能性もあります。

 

どう転んでも困らないように、少しでも生きやすくなるように、よく考えて行動するようにしてください。

 

痛い目を見ないと考えるようにならない人がほとんどです。

 

幸せに生きられるようになることと、答えを教えて考えることなく楽に最短のルートでいい思いばかりできることは同じではないありません。

 

幸せの意味は人によっても違いますし、同じ人でも成長具合や時期によっても違ってきます。

 

神さまが教えてくれることはヒントであり答えではありません。

 

成長して自分で考えられるようになること、この事を含めて伝えてきます。

 

考えられる人の大半がどういう経験を積んできているか。

 

ただつらい経験をするだけなら、ひねくれて終わることもあります。

 

自分が方向性をもって生きるからこそ、それがあきらめない原動力になりますし、経験をいかして考えられるようになっていきます。

 

痛い目を見る前に考えて行動できれば、その方がいいとは思います。

 

それができないからこそ、ブログや動画を渡り歩いて、いい話だけを見聞きして得しようとするのですが、なにもやらなければ変わらないですし、大して考えてない人には、まともに理解も判断もできはしません。

 

立派な誰かのたいそうな話よりも、身近な子供の何気ない指摘や疑問の方が自分のためになることもあります。

 

それが大事であると気づけ、その気づきを活かして行動に移せるかどうか、そしてその行動を結果が変わるまで続けられるかどうか、さらにいえばその変わった結果を踏まえて自分が納得いくところまでより良く変えていける、そこまでやれるだけのことをやらず、端緒を見落として様々な情報を渡り歩く中で時間だけが過ぎているかもしれません。

 

やってきた人には、やってきたからこそわかることがあります。

 

最近では大事なことや役に立つ話を一生懸命伝えようとしている人がすごく増えています。

 

あれもこれもやることは大変です。

 

まず一つでも気づけたなら、その一つのことをしっかりやるようにしてください。

 

自分で理解できることで行動に移していないことに気づけたときには、ぜひそのことをやってみてください。

 

 

 

今回の総理大臣は、ある意味私たちエゴの特徴の表れのような方がなりました。

 

自分がなく、自信も少なく、権威が好きで、人に合わせて八方美人になるためにかえって自由に動けなくなる、そんな方だと感じます。

 

意味のない人生を送っていればどうなっていくか。

 

この時期にそういう生き方をしている人が今の私たちの国の代表になったということは、この先でこの国がどこに向かっていくのか、すこしはイメージできるかもしれません。

 

抑圧的なことが増えれば生きづらくなることもあります。

 

自分が少しでも生きやすくなるように自分でなんとかしてください。

 

そのなんとかする行動により、「天は自ら助くる者を助く」ということが起きる縁になっていきます。

 

インスピレーションをただボーっと待っていても、てきとうに気楽に生きていても、それはやることをやってきた人がやった時に意味をなします。

 

たいしてやることやっていない奴が勘違いしてアホ面ぶら下げて待っていても、ろくなことにはなりはしないでしょう。

 

二転三転する中で、まだどうなるかわからないこともあるようです。

 

しかし、どうなるにしても自分のやることは変わらない、そういう思いで生きられるよう頑張ってほしいと思います。

 

必死に生きろよ、それがいま皆さんにここで伝えるメッセージです。