しばらく続きそうな不穏な日々

◎しばらく続きそうな不穏な日々

西日本を中心に、大雨が降っているところがあります。

 

この雨は少なくとも来週まで続くので、被害がでるようなことはこれから起きていきます。

 

しかし、雨が降っているのは日本だけではなく、世界各地でも水害と呼べるレベルのことが起きているようです。

 

 

 

水害は農業や畜産への影響が懸念されますが、コロナにふりまわされてのことや感染予防目的で行っていることから免疫力が低下している人たちへの心身への影響も気になります。

 

場合によっては、コロナとは異なる病気が流行る可能性もあります。

 

 

 

8月の中旬頃から不穏な雰囲気を感じており、いらっしゃる方には仕事などの備えを促していました。

 

単発でのことはそれに集中して対処していけば何とかなることもあります。

 

しかし、いくつかの事柄が組み合わさっていけば、試験問題ではないのですが難しく感じられ、解決するには複雑で手間がかかります。

 

しかも、手間暇かかっても解決できるのは賢く的確な対処ができたときの話です。

 

コロナの騒ぎ、経済活動、社会生活のあれこれ、周りの人との関係性、それに自然災害や大小さまざまなトラブル。

 

不穏な感じに呑まれるように、自信を無くしたり自分を見失いやすくなります。

 

そこで隠れていた歪んだエゴがひょっこり顔を出すこともあるでしょう。

 

頼まれてもいないことをお節介でやったり、聞かれてもいないことを一方的に話したり、どうでもいいことで優位に立とうと意地を張ったり、人のやることにいちいちケチをつけたり、みずからトラブルを起こす事が無いよう気を付けてください。

 

世の中の不穏な状況に影響されてエネルギーが目減りしたと思うと、問題解決して自分をどうこうするのではなく、周りを一方的に利用してなんとかしようとする人がたくさんでてきます。

 

一方で、ものごとが少しずつでもわかるようになっていくと、これまでいい関係性だと思っていた周りの人たちの振る舞いに違和感を覚えるようなこともあります。

 

自分が変わることで周りの人たちとの関係性が変わり、周りに依存していればなんとなくつらく感じることもあるでしょうし、周りがあなたに依存していれば、あなたにきつく当たることもあるでしょう。

 

そんな時こそ、その中でも自分がどうありたいかを意識することです。

 

なにを目指して生きているのか、その目的にあったものかどうかで今起きていることを判断していくといいでしょう。

 

そして、合うものであれば熱心に取り組んだり大事にし、合わなければ距離を置いていまやるべきことや目的に合ったことにその分のエネルギーを注ぎ込めるようにしていくといいでしょう。

 

 

 

 

◎変えていく

時代が大きく変わるときというのは、個々の人たちの大きな変化もまた、そこにあります。

 

実際にその変化の渦中に身を置いてみれば、よりよく生きることがその変化の中で生き残っていく最良の道だと私には思えますし、全体と調和し全託する生き方でもあると感じます。

 

時代が変わることだけをただ指をくわえて待つような幼い生き方では、この先大変であることはずいぶん前に書いていました。

 

前回書いた泡沫の人などは、自分を見失うどころかほぼ喪失した状態で、自らの仲間を増やそうとしがみつこうと迫ってきます。

 

そして、自分と同じようになるよう、引き込もうとします。

 

これは同情の話に通じることですので、これまでに学んで理解できていれば、どうすればいいかわかりますね。

 

これから世の中がおかしくなればなるほど、トラブルが増えやすくなることでしょう。

 

ただでさえ負荷が増えていくであろうと言われているのに、自らの首をさらにつよく締め付ければ、自分を苦しくするばかりです。

 

よりよく生きることを考え、行動に移していってください。

 

誰かに助けてもらうのではなく、自らを信頼してつよく生きていくことをできるところから実践してください。

 

これからこうなるよ、ああなるよ、なんて話は大して役に立ちません。

 

カルマがあればあるなりのことがその身に起きるだけなのですから。

 

 

 

 

◎メッセージ

例えばね

一人ひとりが健康的な生活を心がければ

それだけで社会は変わりはじめるのです

 

その一人ひとりの意味を取り違え

認めないからこそ

現状維持が続くのです

 

その一人があなた自身のことであることに気づけるかどうか

自らを認めないことが始まりであり

自らを認めることが始まりとなる

 

社会のために変えるのではなく

誰かを変えようとするのではなく

自分のために決めること

 

なんのために生きているのか

改めて考えてみてはどうだろうか