地獄の亡者と同調し始めた人々

◎亡者についての神さまからのメッセージ

亡者とは

 

自分を亡(な)くした魂のなれの果て

 

自分がないので自分の幸せがわからない

 

手に取るものが自分の役に立つかもわからない

 

なにも考えられず

 

ただただ飢えと乾きを凌ぐために

 

貪り続ける

 

ひたすら貪り続ける

 

今世の中は

 

地獄の蓋があいて溢れ出した亡者と同調し

 

地獄を彷徨い始めている人たちが増えている

 

言われるがまま従い

 

垂れ流される情報を貪り

 

それが自分の役に立つかどうかは考えられない

 

ただ貪り続ける

 

貪って垂れ流し続ける

 

悪臭を放ち

 

彷徨い続ける

 

自らの幸せのために生きることを忘れてしまった人たちは

 

亡者によって導かれ彷徨い続ける

 

先導されたさきは地獄

 

しかし

 

そこは自らの思いと同調するユートピアでもある

 

この地上に天国と地獄が現れはじめている

 

自分ではどうにもならなくなった魂が行き着く一つの段階が亡者


 

◎亡者と同調していく人々は

地獄の蓋が開いたといわれてから、あふれ出した亡者たちは、いま多数の人たちと同調しながら、この世界に地獄を顕現しようとしているようです。

 

自分を見失ったり、自分がない生きざまを通して、自ら彼らを引き入れて同調していきます。

 

例えば、考えなしにいわれるがまま「マスクをしなくてはいけない」、と思い込んで行動に移している人たちは、自分の判断でそれを外すことができなくなっていきます。

 

自分のことでありながら自分で判断して決めていくことができなくなっている、そのことに気づけなくなってきている人たちもいます。

 

そして、生きづらいけれどわけもわからず我慢してしまう、同じことをできない人を裁こうとする、許せない、憎い、そういう積み重ねがなされるごとに、亡者との同調が色濃くなっていく、ということでした。

 

マスクに限らず、どんなことでも自分で考え納得したうえで行うのであれば、それはまた違っていきます。

 

いまもすでにそうなってきていますが、よくわからない情報が積み重なっていくことで、それらに翻弄されてなにが適切か判断できない状況に陥る人たちが増えていきます。

 

何を言っているか、で判断せず、誰が言っているかで依存してしまうと、だれかに強くいわれたり、感情的に押し切られたり、多数の人が言っているから、やっているから、という根拠にならないことを根拠に、自分のためになることとは異なる選択を一つずつ進めていくことになります。

 

その結果が運命として現れるとき、そこに納得できるかどうかの判断すらできない亡者に等しい状態になっていれば、後悔もなにもないのかもしれません。

 

後悔することもできないくらい苦しさに苛まれ、その苦しさから救ってほしいという渇望から、すがり、むさぼり続ける。

 

私に関わる神さまたちの方向性と同様、宇宙の歪みを解消していくことがこの宇宙の目指す方向性です。

 

それとは明らかに異なる方向性を目指す有り様と取り組みは、決して同じ方向に向くことはありません。

 

因果応報という仕組みをきちんと機能させることが、この宇宙を正すことです。

 

やることやらないで誰かが助けてくれるなら、やることやらないで助けてもらった方が楽ですが、それだとやることやらないでもいいということになってしまいます。

 

 

 

 

◎五井先生の導き

五井先生が人々を救う、というのは、因果律に従って人々が歪み少なく自立して生きていけるようにしていくことです。

 

やることやらないでも助けてほしいという人を助けることが、五井先生が手を差し伸べることと思い込んでいる人もいるでしょうが、それをやってしまえば、五井先生自らがこの宇宙を歪める片棒を担いでしまうことになりかねません。

 

自分でやらないと変わらない、そう気づいて自ら行動に移していく人たちが増えていくことが、五井先生の救いの手に導かれた生き方になります。

 

一方で、やることやらないでいて「助けてもらいたい」と思っている人たちは、どちらかというと亡者と同調する流れに傾いていると思っていいでしょう。

 

いまの取り組みがこの先の自らの運命を決めていきます。

 

いまやるべきことをやっていなければ、どんどん時間が過ぎていき、やるべきことをやってきた人たちと、やるべきことをやらなかった人たちとに袂を分けていきます。

 

お祈りにすがる時期はもうずいぶん前に過ぎてしまいました。

 

いまは新たな段階に入り、そのことに気づいた人たちは、そこからさらに進んだ道筋を歩んでいます。

 

その時代にあった導き、というものがあります。

 

仏陀やイエス・キリストが大きな方向性を指し示していた頃とは違い、今の時代は多種多様な人たちがそれぞれの段階で気づいたことを伝えたり指導することで、より多くの方により細やかな導きがなされています。

 

神さまたちは、意味のないことをしません。

 

覚醒者を含む各時代に下ろされたり伝えられた導きは、それぞれの時代に力を発揮しますが、時代が進めば、その力も弱まります。

 

しかし、その導き意味を理解すれば、過去の導きであっても今に置き換えたり応用していくこともできます。

 

その人に合った、その時だから役に立つ、そういう活かし方もあるでしょう。

 

しかし、例えばお祈りの意味も理解しないままその文言をただ繰り返していても、考えなしに生きる自分がない生き方に傾いてしまいます。

 

きちんとしたお祈りであれば、それなりに自分の歪みに気づきやすくしてくれることもあるため、亡者と同調する可能性は少ないでしょう。

 

ただ、それだと薄いエネルギーになるので、私たちが足を踏み入れたこれからの激しい変化の時代を生き抜いていくには相当厳しいです。

 

皆さんがどう思っているのかわかりませんが、私が感じている展開のなかでは、そういう方たちはほぼつぶれていく範疇にはいります。

 

一方で、ここで学びながら、「生き残っていきたい」という自身の思いを自覚している方は、ここに書いてきたことを実践しながら、そこから抜け出ようとしています。

 

人それぞれに様々な段階があるものの、まだ最終的な結果がでていないので、これまでやってこなかったという人でも、気づいたところから少しでも良くしていくことはできます。

 

そこからどうするかは、あなたが決めることです。

 

私の神さまは、意欲のある人への指導はしていく、と話しています。

 

 

 

 

◎余談

余談です。

 

普段そういうことはあまりないのですが、最近3名ほど、私の回りにうろうろする気配を感じています。

 

興味があるけど一歩を踏み出せない、気まずくて来たいけど来れない、そういう思いがちらつくので、もし思い当たる方がいれば是非近況をメールでご連絡いただくか、ご予約をとっていらしてください。

 

私も日々成長してきた実感があり、手探りでやっていた開業当時と比べたらずいぶん変わりました。

 

お伝えできることも以前とは変わってきています。

 

これからの展開を思うと、自分をよくしていく時間がどんどん減っていると感じるため、迷っている時間がもったいないです。

 

また、これから益々世の中の動きや展開が激しくなると、何か問題があってから来られるよりは、そうなる前に来ていただけたほうが、まだなんとかしやすいです。

 

ご縁を通して少しでも力になれればと思います。