苦しい今からの時期の働き方について 後編

◎生き抜く力を磨いていく

 

いまやれることをやろうとしていない人たちは、「やらない」という選択の結果に向かって、自ら生きづらい方向へ運命の可能性を絞り込んでいます。

 

神さまには、「6月頃に取り掛かろうと思っても遅い」と言われました。

 

このままでは、なにかをやるにしてもエネルギーが枯渇し始め、新たな何かに取り組む余裕はなくなっている人がかなり増えていく、ということが理由だそうです。

 

遅くとも4月半ばくらいまでには取り掛かるようにしていないと、いまのままでは、そこから先はどんどん様々な貯えが枯渇し始めていくようです。

 

ですから、今月中に取り掛かり、6月くらいまでになにか形にするか結果を出していけば、その先でもなにかやりようはある、ということになるようです。

 

不景気になるほど、人は好きなものや自分にとって価値のあるものにしかお金をかけなくなっていきます。

 

きれいごとは通じなくなり、当たり障りのないものや無難なものは、人の目にとまりづらく、早々と自然淘汰されていくことでしょう。

 

意思表示をはっきりし、自信と責任をもって仕事をしていくこともこれまで以上に求められるようになるのです。

 

やることやらないと変わらない、ということは何度も書いてきましたが、そのことを実感してから切り替えてもできなくはないのですが、時期としては遅いのです。

 

できることを考えて、すぐに始めるといいと思います。

 

そうした取り組みが、これからの時代を生き抜く力を磨いていくのです。

 

 

 

◎無意識にやっていること

 

今の時期の小手先の転職や副業は命取りになることもある、そう考えています。

 

しっかり考えて、どんな結果になっても後悔ないと納得できるなら、それを一生懸命やればいいでしょう。

 

「一度にできることは一つだけ」「やったことが返ってくる」、そういうことは何度も書いてきました。

 

片手間にぼんやり言われたことだけをやった場合と、しっかり結果を出そうと意識して考え集中して取り組んだ場合とでは、その結果は雲泥の差になります。

 

命取りになるか、自らを救い上げるか、これからは特にそれが色濃く表れていきます。

 

先日、納得いくところまで精一杯やることの大変さを書きました。

 

自分の仕事に注ぎ込めるエネルギーが100あるとします。

 

過去のしがらみや後悔、未来への不安、どうでも身近な人の心配、やらなくてもいいことに頭をつかい、考えなくてもいいことに時間をつかい、今目の前のことに集中できているとは言いません。

 

100持ってるエネルギーを100注ぎ込むことは、今の私たちでは不可能といっていいでしょう。

 

まわりが圧倒されるくらい全力でやれる人で70~80くらい、まあまあ頑張れる人で50~60くらいだと思います。

 

だとすると、上記のように目移りするあれこれを抱えた人が、目の前のことに果たしてどれほどの能力を使うことができるでしょうか。

 

制限されたエネルギーを、目の前にないどうでもいいことに分散して無駄使いし、残ったわずかなエネルギーで仕事をしても、思うような結果がでるはずありません。

 

しかし、浪費や無駄使いといっても、当の本人はそのことに気づかないまま自分のエネルギーはしっかり使っているので、「やれるだけやりました」と言うでしょう。

 

しかし結果は伴わないため、「あんなにやったのにこれだけの結果しか出ないなんておかしい」と腹を立てたり落ち込んで、その責任を人のせいにし、大半の人はそのまま自分の取り組みに目を向けることはありません。

 

そこで目を向けることが、エゴのチェックです。

 

10しかやらなければ、10しか返ってこないのは当たり前の話ですが、それを80やったとか90やったとか思い込んでいる姿をみて、あいつアホだな、と笑う人もいるのです。

 

 

 

◎自分で道を切り開く

 

自分がなにをやっているのかわからないまま生きている、それがエゴ主体で生きている私たちの毎日です。

 

意味のないことをやりながら、意味のある人生がどこかで突然現れると固く信じている、おめでたい私たちなのです。

 

重苦しい時代の到来をだれもが感じていると思いますが、そのように物事をゆがめて解釈しながらやってきた数々の積み重ねが、今この時にまとめて返ってきているだけなのだそうです。

 

これまで生きづらくなることをやってきたので、これから生きづらくなることが返ってきます。

 

その生きづらさを前に、また生きづらくなるようなことをやって繰り返すのか、生きやすくなるように問題解決すべく取り組むのか。

 

この時期に差し掛かり、焦ったり中途半端に迷ってなにかやるのは、自ら墓穴を掘るようなものですから、まずは覚悟を決めて本業をしっかりやることです。

 

今できることから取り掛かるので、地に足ついた生き方になります。

 

グラウンディングとは、そういうものです。

 

しっかり生きようと決めて真剣に取り組む結果が、わずかずつでもこの先の自分に可能性を残します。

 

そこから、よりよいものへと変えていくことで、全体とともに歩める自分へと成長していきます。

 

やるのは自分です。

 

それをして、自分が困ることは何一つないでしょう。

 

しかし、やらなければ、いつかまた世の中が急変した時に困るだけです。

 

カルマを持ち越して解決しない分、同じ悩みが再燃するのです。

 

 

 

◎カルマについての思い込み

 

カルマについて、「ある時期我慢して耐え忍んだらカルマが解消される」、そう思い込んでいる方が時折いらっしゃいます。

 

しかし、それでカルマが解消されることはありません。

 

また時期を違えて同じような問題が起きた時に、解決する力が身についていないのであれば、生きづらさはそのままなのですから、カルマは先送りにされただけでなにも解消されていないのです。

 

よりよくの方向へ成長できれば、そこでようやくカルマが解消され、「生きづらい」から「生きやすい」へ移行していきます。

 

よりよく生きるという取り組みは、カルマ解消の取り組みでもあるのです。

 

 

 

◎余談

 

昨日少し触れましたが、奇妙な雲を見かけました。

 

写真ははじめのブログに掲載しています。

 

出張から戻ってバイクを停めた時、不意に後ろから気配を感じました。

 

なんだろう?と思って振り返ると、その雲が目に入り、「頭打ち」という言葉が浮かんだのでした。

 

拡大してみると、白い龍のようにも見えます。

 

西から北西にかけての空でした。

 

なにかを告げているようには感じられるのですが、いまのところその意味までは分かりません。

 

複数意味が混じっていそうです。

 

一つ薄く感じるのは、コロナウイルスについてです。

 

これについてはやや違和感があるのですが、発症者数はこれからどんどん増えるのですが、感染拡大のペースは一時的に少し落ちるかもしれません。

 

気温の上昇に伴って免疫力が少し高まる方が増えるため、という感じです。

 

しかし、その先も感染者は地道に増えていくことでしょう。

 

潜伏期間もありますし、無症状の方もいるというので、確認できない内容です。

あまり意味がない話なので、薄く感じたのかもしれません。

 

一方で、阪神大震災の前に夢で見た、羽ばたきながら鳴く二羽の鳳凰を思い出します。

 

また、今日の14時過ぎに日向灘でM4.6の地震がありましたが、これがなんとなく気になっています。

 

以前ドラゴンが欧米を見た後に日本に目を移し、その時に見ていた場所が、まさにここでした。

 

明日は満月ですし、ひずみも相当にたまっていると思います。

 

念のため、お気をつけください。

 

明日の満月から次の新月も、なにかの期間のようです。

 

いまの混沌の世界では、いろいろ入り乱れてあるため、何らかの可能性も常に混じりこんでいるのだそうです。

 

「真剣に取り組めば

 

つかめるものが見つかるよ」

 

そういわれました。

 

能力や運ともちがい、真剣さや一生懸命さによって、飛躍するチャンスを手にできる方もいるようです。