今回は、やや長文です。
◎10月31日のメッセージ
災害は想定外でおこるもの
想定内であれば
まず災害とよべる規模にはならない
社会は集合意識の反映でもある
誰かが気づいていたとしても
全体として力をもつもの
責任を行使できる立場にあるもの
そうしたものが想定できなければ
やはり意味はなさない
すでに大きな災害が
これまでにない規模で
各地で起きている
自分のことだけしか考えない
矮小なエゴに
果たしてどれほどのことが
想定できるというのだろうか
意識の進化に目を向け
どの道筋で自らを歩むのか
そこから考え直さなくては
本当の意味で
難を減らしていくことはできないだろうよ
歪みが正されていくとは
そういうことも含んでいる
自然災害は
エゴにとっての厄災ではあるが
全てに通じる意識にとっては
またとない好機をもたらす祝福の嵐ともなる
忌まわしきものがあるとするのなら
それは
祝福を厄災と捉え
自らを貶める
自らの愚かさだろう
その愚かさに目を向けたくないがために
自らから切り離し突き放し押し付けて
逃れようとする
自らを歪める
そこから抜け出す言葉こそが
よりよく生きる
方向性をだす
これらの言葉の価値に気づけたものは
自らの価値に気づき
行動が変わる
気づいたかどうかは
いまの自分をみればわかるだろう
その結果は未来でもどこかでもなく
すべていまここにあるのだ