9月10日のメッセージ

◎昨夜のメッセージ

 

いま問われていることは


みながどうしたいかではない

 

あなたがどうしたいかなのだ

 

 


人の言動にうつつを抜かす暇があるならば

 

いまできることを考えて

 

あなた自身のためになることをやる以外に

 

何か役に立つものがあるだろうか

 

 


地震がこれから起きるようになっていく

 

台風の爪跡からおこる災害もでてくる

 

まだ始まったばかり

 

病気もあなた方を悩ますだろう

 

食事もろくに取れないものたちも現れる

 

 

人のことを気にして偽善を振りまいても

 

いざとなったら手のひらを返す

 

そんな生き方をしているのであれば

 

本質からかけ離れたことに生きていることに他ならない

 

 

定められし運命などないのだ

 

自らを生きることに喜びを見出したものたちから

 

世界が変わっていく

 

 

その道筋を知るものが教える道筋は

 

まだあなたが歩んでいない道筋だとしても


あなたには当たり前のように思えることで


その道筋が真理に生きている道筋だと気づかないまま

 

その一生を終えるかもしれない

 

 

気づかないということは

 

容易に道を違えることがあるということ

 

 

ただ闇雲に駆け抜けるのでもなく

 

考えあぐねて踏み出すことのない一歩で終わらせるのでもなく

 

あなたが思うように生きていければ

 

そこに後悔を残すことはないのだ

 

 


あなたがあなたである以外に

 

なにができるというのだろうか

 

 

 

あなたがあなたであるとは

 

どういうことなのか

 

いまいちどあなた自身に問うてみるといいだろう

 

 

答えは何度も示されてきた

 

いまだに答えを誰かに求めるようであれば

 

それがあなたが定めた自らの運命であることを

 

身をもって知るといいだろう

 

 

やがて陽は沈む

 

真っ赤な台風は

 

沈みゆく夕陽の色であったと

 

どんなときにも

 

人々は後になって気づいていくのだ

 

 

あとで後悔ないよう

 

この者は語らいの中で

 

その者たちが踏み出す目の前の大地を指し示してきた

 

 

そのことが如何に凡庸なことに思えたとしても

 

それをきちんと受け止めた者たちは

 

行動に移してきている

 

 

 

聞き流して都合のいいことに自己解釈した者たちは

 

なにかを期待しながら行動に移すことはしてこなかった

 

 

それぞれの結果が

 

また今回の三ヶ月の節目をこえて

 

それぞれに訪れることだろう

 

 

みなが思うように生きている

 

その結果は

 

他の誰のせいにもできないこと

 

 


だからこそ

 

エゴに目を向け

 

生きるのだ

 

 

 

 

 

◎余談です

 

先ほど、寺尾夫美子さんという方の動画を見て感じたことがありました。

 

それは、三種の神器の一つ草薙剣とは、自分を生きる思いである、というものです。

 

草薙剣はスサノオノミコトがヤマタノオロチを退治して手に入れた剣ですが、そのヤマタノオロチとは、エゴの歪みがいきつく先を現しているかのようです。

 

他人の思いに生きることで自分を見失い、自らの思いを生きることを忘れた者は八つ(不特定多数)の意思をもつ化け物となる。

 

それはキメラともよばれ、スサノオノミコトによって自らの思い(草薙剣)を取り戻した、というお話のように感じました。

 

 

 

自分はどうしたいのか、そのことに気づいて自らを生きるようになった時、それぞれの矜持を取り戻した私たちは、三種の神器を自らのものとして、これからの時代を生きていくのではないでしょうか。

 

昨夜受け取ったメッセージの内容と繋がることが浮かんだため、余談として載せておきます。