地上天国とアセンション ③

合うところ、合わないところ

 

お互いの自由を認めて生きていくためには、自分と相手の関係で、「合うところ」と「合わないところ」を知ることです。

 

互いを知るためのコミュニケーション、意思疎通が大事な理由がここにあります。

 

お互いに、それぞれがどうしたいのか、なにをやりたいのか、やりたくないのか、どういう物事が好きで嫌いなのか、などを確認することで、気分よく過ごすためにできること、やらないほうがいいこと、そうしたことが考えられるようになっていきます。

 

そして、よりよくの方向性を忘れず取り組み続けることで、自分の思いを大事に生き、相手のことを考えて生きることができるようになるため、より気分よく、より自由を奪うことなく、過ごしていくことができるようになっていきます。

 

 

 

態度や行動に現れている

 

私たちは、自分の中で優先順位の高いものから行動に移します。

 

「とても大事な夫(妻)です」といいながら、いつも怒鳴り散らしたり、なにかとケチをつけたり、不満をため込んで陰で相手の悪口ばかり言っていれば、その人が実のところどう思っているか、すぐにわかると思います。

 

実際にやっていることに、その人の思いは現れます。

 

「大事に思っているんだけど、つい・・・」

 

というのは、大事に思っている面もあるけれど、無意識とはいえ、トータルでは違う思いの方が勝っている、ということです。

 

だから、エゴ(無意識の思い込み)のチェックとコントロールが大事になるのです。

 

好きな人には好きという意思表示を折に触れてすることは大切なことですし、大事な人だと思うのであれば、自分にとって大事な人と相手にもわかるように接することも、相手を思う態度の現れの一つです。

 

思うようにいかないことが当たり前なのですから、そこでわかったつもりでなにかやり続けていても、思うようになってはいきません。

 

自分の思いや考えをわかりやすく伝えることで、思い込みで行動に移すことが減るのですから、齟齬が減る分、互いに生きやすくなります。

 

 

 

意味をもたせる

 

なにかあったときに、相手の思いがよくわからないにもかかわらず、十分な確認もとらないまま、勝手な思い込みや決めつけに押し付けや遠慮などをしていれば、気分を害したり、うまくいかないことが生じるのは当たり前です。

 

私たちはそういう場合、大抵うまくいくなりのことをしていません。

 

しかし、やるべきことをやらなかったにもかかわらず、思うようにいかなかったことに腹をたて、その責任を相手や周りのせいにして不満をため込みます。

 

自分のやった結果なのですから、自分の考え方や振る舞いをよりよくただすことで自分の運命をよくしていけるのですが、そうはせずに、不満を募らせて周りにふりまくことで、因果応報のサイクルに新たな火種をまきちらし、問題を繰りかえし続けます。

 

そして、せっせと貴重な時間とエネルギーを後悔と愚痴をこぼすことに盛大に注ぎ続け、人生を終えることもあるのです。

 

一方で、成長しながら不満のでない考え方を身に着け、代わりの利かない自分の思いを納得いくように生きることができたときは、どうでしょうか。

 

私たちは、自分の人生に意味を持たせることができるのです。

 

少しでも進歩したなら、この生は意味があった、そういえるのではないでしょうか。

 

 

 

自分の思いを生きること

 

自分の思いに素直に生き、互いに不快にならないような一定の配慮をしながら、好き嫌いの意思表示をはっきりさせたり、互いにどうしたいのかコミュニケーションをとるようにしていくことで、自分にあった人間関係や付き合い方ができるようになっていきます。

 

それをやらないで、ため続ける必要のない不満をため、誰かのせいにして自分がよくなるはずもありません。

 

結果として、私たちが目先の損得勘定でやっていることは、自らを歪めるという大損をしているかもしれないと思えば、妙な小細工や駆け引きよりも、自分で判断し、自分の思いにウソなく正直に生きたほうが、あとで後悔もない分納得できる生き方となるのではないでしょうか。