コミュニケーションとアセンション⑧

 

かつての日本では

 

察することが文化として磨かれたことがあるけれど

 

(その当時は今以上にダイレクトに)

 

命がかかっている時代だから

 

きちんと確認するということをしないで察しようとしたところもある

 

 

 

命かかった世界で共有している時間というのは

 

覚悟の深さというものがあって

 

自然とその深さが重なるところが出てきたときに

 

おのずとわかってくることがある

 

 

 

それは意識して鍛えたというよりも

 

環境によって作られたものだから

 

おのずと出てくるものの中で

 

察するということができていた

 

厳しい世界だから身についていた

 

 

 

今の時代はそこまで厳しいわけではないから

 

そういうものが自発的にでてくるのを待つのは難しい

 

粗相があれば切腹のようなことも

 

まことしやかに言われる時代だったのに対して

 

今の時代はそこまでの厳しさはないから

 

安心して地道に積み重ねていって

 

そういう境涯に達していくことができる時代

 

 

 

アプローチの仕方が違うし

 

内容も違うけれど

 

察するということも

 

違う察し方を

 

意識的に積み上げていくことができる時代ではある

 

 

 

なぜなら

 

ちゃんとコミュニケーションがとれるから

 

 

 

階級制度やつよい思い込みやしきたりなどがあって

 

殿様とは目も合わせられないし口もきけないという状態だと

 

ちゃんとコミュニケーションはとれないでしょ

 

 

 

でもいまはやり取りする中での制限が減っているわけだから

 

それは昔より生きやすくなっているという点で

 

確認をとればいいだけのこと

 

 

 

無理に昔のものを求める必要もない

 

その時代

 

その地域

 

その人

 

それぞれにあったものというのがある

 

 

 

せっかく自由があるのだから

 

かたくなになる必要もないね

 

今の時代にあった取り組みをすればいいんだよ

 

今あるものから次につながっていくのだから

 

そのことを自覚して

 

日々の生活を生きればいい

 

 

 

ここまで

 

これでこのシリーズはひと段落とさせていただきます。

 

次回以降、補足などあれば掲載していきます。