神さまは多くを語らない

りゅうちゃんのコメント等を見て思うことです

 

りゅうちゃんのブログを少し読ませていただきました。

 

「神様は、多くは語りませんから(日に日にどうこうも伝えないです、必要な時のみ、わずかな言葉だけです)これらが憑くと最後にはその人の魂を喰われてしまいます。」

 

どなたかの文章の引用のようですが、これはこれでいいと思います。

 

ただし、なぜ必要な時のみ、わずかな言葉だけ、なのでしょうか。

 

必要な時とはどんな時のことをいい、わずかな言葉とはどれほどのことをわずかというのでしょうか。

 

大本教や日月神示で都度語られたものは、わずかというのでしょうか。


時代の違いから言葉づかいが下(おろ)す人の影響を受けて異なりますが、前回の文章量とそれほどの違いがあるのでしょうか。

 

多く語られたものが悪いものと、どうして言い切れるのでしょうか。

 

多くを語る神は偽物という思い込みを持つ相手であっても、相手に誤解をなるべく生まずに真剣に話を伝えようとしたなら、相手を本当に大事に思うのであれば、意味のないことはしないし多くを語らない存在であっても、熱心に丁寧に相手にわかるように話をすることは、集合魂の守護神クラスの神様であれば、可能性はあるのではないでしょうか。

 

意味のあることだからするのです。

 

私は彼の守護霊さんと守護神さんの言葉から、彼を思う優しさを感じました。

 

それをどう受け取るかはご本人次第ですが、彼を思えばこその言葉だったと思いますので、そのまま掲載することにいたしました。

 

人に与えられた自由には、正しいことを拒否する自由もあるし、犬死する自由もある、そういうことを思い出しています。

 

自分のブログで書いている分にはいいのですが、人のブログにコメントを残すという事は、公言したに等しいのです。

 

『日月神示の一厘の仕組みも解いたし、私の事、宣伝して頂いてありがとう。』

 

言い切っていますので、彼が覚醒することがあれば、その後にどうされていくのか見ていきたいと思います。

 

 

 

あと、「皆さんの信頼も信用も失ったね。」

 

の皆さんとは誰の事でしょうか。

 

あなたの他に誰かリアルな人間で「皆さん」に該当するだけの数の人が、あなたのいう具体的でわかりやすい内容で説明してもらえますか。

 

まさか抽象的な表現で人を貶めようとはしていないでしょうね。

 

私がかわいそうとか、私が言っていないし思ってもいないことを、一方的に決めつけていうのはどうなんですか。

 

これは神様たちがいったとかではなく、あなたが自分でリアルな世界でリアルな人に対して発した言葉です。

 

一厘の仕組みを解明できるその頭脳で、そのあたりの解明もされてはどうでしょうか。