方向性を合わせること

いま大事にしていること

 

現状の私の考え方として、今後の展開がどうなったとしても、自分の意識レベルを上げることを、日々の取り組みの中心に据えるようにしています。

 

エゴでは、これからのことが明確に正しくはわかりません。

 

今後どうなるかわからない以上、いつでるかもわからない結果を求めるよりも、今この時に納得のいく取り組みをできた方が、後悔ないはずです。

 

そのため、方向性の異なる方とやり取りする際には、「自分の意識レベルを上げるためにいまそれが最優先することか」を考えるようにしています。

 

 

 

これまで学んだことを踏まえて考える

 

これまでお伝えしてきたことを踏まえて考えるようにすると、相手の方の言葉やコミュニケーションの取り方など、簡単なやりとりであっても、自分の理解度に応じていろいろとわかるはずです。

 

言葉を丁寧にみるようにすることで、相手の出している方向性や考えがわかれば、お互いにとって優先すべきことが明確になる分、否定を少なく、お互いの進みたい方向に歩をすすめることもできるのではないでしょうか。

 

これまで書いてきたことを踏まえて考えるならば、相手の自由を奪うようなことはすべきではありませんし、無理に相手に合わせて、同情のようにエゴの価値観を正しい理屈より優先することも、すべきではないと思います。

 

 

 

自由を認める

 

誰かと方向性の違いからたもとを分かつことがあった場合、それはそれぞれが信じる異なる道を進みたいからに他なりません。

 

そして、私たちにはそうした自由が認められています。

 

それぞれが正しいと思うことが異なるのですから、それを無理に合わすようなことは、自分にウソをつくことになります。

 

全てが一致はしなくても、部分的に合うところで協力したりはできます。

 

しかし、合わないところを無理して合わせるようなことをすると、自分の思いよりも人の思いを優先することになりますし、場合によっては、正しいものよりも間違ったものを優先するようになります。

 

そうしたことを繰り返すことは、自分を生きているとは言えませんので、意味のない人生になっていきます。

 

 

 

弱肉強食

 

いいことも悪いことも、自分のレベルで確認しうる全体を見たうえで、素直に自分がどうしたいか決めて生きていくことを、全肯定の考え方から私は学んでいます。

 

そうした素直な思いを正しい理屈で納得させるのではなく、力で捻じふせるようなことをすれば、それは自由を奪う行為です。

 

弱肉強食にそまった私たちの日常では、そうしたことがあふれています。

 

例えば親子や会社組織などで見かけることかもしれませんが、理屈に合わない考え方でありながら、いうことを聞かないことに対して腹を立て、立場を利用して相手をコントロールしようとすることは、正しい理屈よりも力をもっているものの都合を優先していい、という考え方の現れです。

 

そういう段階でものごとを考えていると、自分より下位だとおもっている相手から話しかけられても、聞く耳をもちません。

 

 

 

正しい理屈よりも力を優先する

 

これがいまの宇宙の問題だと思っています。

 

全肯定の考え方は、誰が言っているかではなく、なにを言っているかで考えます。

 

例えば、目下の者から正しい道理で話をされても、そこで自分の非を認めることができれば、正しい理屈を優先したことになります。

 

全肯定を認める宇宙が実現すれば、こうしたことが様々な場面で行われていくことで、私たちや全体の歪みが正されていき、これまで歪みで停滞していたものがスムーズに流れだし、よりよい進化が促されていきます。

 

私も変化の真っ最中です。

 

 

 

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