正しさについて

わかるなりのこと

 

今回は、前々回のブログ「正しいことがわからない」で、「やることをやっていないと・・・」と書いたことについてです。

 

「わかるなりのこと」とは、これまで書いてきたこと諸々のことです。

 

方向性を出すことやその出し方、エゴのチェックとコントロール、ものごとの道理についての理解、実際の取り組みとして実践したり修正をかけること、さらには後悔のない生き方やベストを尽くす取り組みなど、そういったこと一つ一つをあきらめずにやり続けることなど。

 

一度にすべてがわかるようにはなりませんが、できるところでできることを地道に取り組み続けていると、徐々に「正しさ」がわかるようになっていきます。

 

 

 

正しさについて

 

私が書いている「正しさ」とは、方向性にあっているかどうか、ということです。

 

絶対的な正しさはありません。

 

完璧であれば変化できませんが、全体の一部として不完全な私たちは変化することができます。

 

今ある状態から違う状態への変化、それを方向性を決めることで思うように変化させていく自由があります。

 

思うようにといっても、それすら完璧にはできませんが、その出した方向性にあった考え方、取り組み、結果、そうしたものが方向性にあっていれば「正しい」、合っていなければ「まちがっている」といえます。

 

そうした正しさを少しでも理解できるようになると、同じ方向性をだしている上位意識がいっている「より正しいこと」がわかるようになります。

 

 

 

わかるようになることで

 

方向性をだし、ベストを尽くせるよう精一杯取り組みエゴを薄くすると、自分の方向性に対する自覚や、それに向けてのもろもろの正誤がわかるようになっていきます。

 

そうなると、上位意識との繋がりがより明確になり、エゴの判断より正しい考え方がインスピレーションとして下りてきて、気づきとして自覚できるようにもなります。

 

そうした取り組みを積み重ねながら、いまより正しいことを求めていくことで、私たちは自分のだした方向性に向かって成長していきます。

 

 

 

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