負荷とカルマ

前回のコメント

 

前回の「弱肉強食」でのコメント欄の私の回答の補足で、カルマについての考え方を書いておきます。

 

以下、前回の回答部分です。

 

  • えつこさん

    コメントをいただき、ありがとうございます。

    アホとして扱われた時に、私たちは負荷を感じて卑屈になったりひねくれたりします。

    しかし、それは私たちの弱さの問題であるため、その後生きづらく感じるのは、負荷をかけた側の原因よりも、自分に原因があるのです。

    ここはすごく大事なところです。

    それを、誰かのせいにし続けていても、自分はなにも変わりません。

    完璧な状況や状態はないのですから、限られた中でよりよいものを選び取っていく力を身につけ育むことで、私たちは弱さからの脱却を果たしていきます。

    そもそも、神さまだって私たちに負荷をかけることがあるのですから、負荷をかける側のせいにしていても、なにも解決はしないのです。

    慢心にならないためにも、自分の弱さを認めることは大事です。

    慢心もそうですが、卑屈にならないことも大事です。

    自分を責めたり誰かのせいにして否定を増やすのではなく、弱いところもあると認める、そこも気を付けるようにしてください。』

 

 

 

 

生きづらく感じること

 

生きづらさを感じることで、カルマが返ってきたという言い方ができますが、もう少し詳しく書くと、「生きづらく感じるような考え方」をカルマといいます。

 

負荷を感じるようなことは人を生きづらくしますが、それを負荷と感じるかどうかは、その人の考え方によります。

 

確かに、負荷をかける側にも問題がないとはいえません。

 

しかし、自分が負荷と感じなければ、自分にとっての問題は問題とならなくなっていきます。

 

あとは、かけた側にやったことが返ってくるだけです。

 

 

 

 

自分への向き合い方

 

うまくいけば実力以上に自惚れて、思うようにいかないときには、できていることも無視して卑屈になる、では、そういう態度で取り組んだ結果が自分に返ってきて、生きづらくなります。

 

ありのままを素直に認めることで、自分の身の丈にあったなりの生き方ができるようになり、自分を偽ることなく、いたずらに我慢したり誤魔化すこともなく、平常心を保って生きていくことができるのです。

 

そうなると、感情の余計な揺れ動きも減るため、そこで感情をより正しく使えるようになれば、自らの方向性をよりつよく自覚できるようになります。

 

方向性をつよく意識できて取り組んだ結果は、よりよい結果となりやすくなります。

 

 

 

 

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